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真坂楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_3651.JPG←主郭西側の堀切
 真坂楯は、大崎氏の家臣狩野氏(一迫氏)の居城と言われている。豊臣秀吉の奥州仕置で大崎氏が没落し、1591年に伊達領となると、伊達氏譜代の重臣冨塚宗綱が真坂楯主となった。以後、1717年に冨塚重標が領地を没収されるまで、約130年に渡って冨塚氏歴代の居城となった。冨塚氏の後、1718年に仙台伊達家の重臣白河宗広が真坂楯主となった。宗広は、奥州の白河結城氏の後裔で、その母が伊達騒動の際に幼君亀千代(後の綱村)を守りぬいた功で、「御一門」格に列せられ数々の恩遇を受けた。以後白河氏が歴代の楯主となって幕末まで存続した。

 真坂楯は、一迫川北岸にそびえる龍雲寺背後の標高98mの山上に築かれている。真坂楯の東方900mの位置には、巨大山城 姫松楯が存在する。真坂楯は、簡素な構造の素朴な縄張りで、山頂に主郭を置き、その東斜面や北斜面に腰曲輪を数段配置している。東斜面の腰曲輪は墓地となっているので、後世の改変の可能性があるが、北斜面のものは主郭裏の二段の馬蹄段など、往時の遺構であることが明瞭である。その北西にも腰曲輪が広がり、虎口遺構も確認できる。龍雲寺からの登道が大手と思われるので、こちらは搦手であろう。この他、主郭から堀切を挟んで西側にも平場が広がっているが、一面の薮で確認は困難である。主郭に白河宗広の母(政岡)の墓があるので登るのは容易であるが、腰曲輪など周囲の遺構は藪に埋もれている。真坂楯は、その伝承からすれば戦国時代から存在した城であるが、隣に巨大城郭の姫松楯があるのになぜ築かれたのか、謎が多い。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.749699,140.951715&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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