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姫松楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_3320.JPG←中館背後の二重横堀
 姫松楯は、奥州藤原氏の家臣井ノ山雅楽之丞の城とも、或いは大崎氏の家臣湯山雅楽允の城とも伝えられているが詳細は不明。井ノ山雅楽之丞は、近郷の藤原氏家臣統率しており、1190年に藤原氏残党の大河兼任の乱を援けてこの楯に拠り、鎌倉方の千葉新介・足利上総前司・小山五郎などの東国御家人達を迎え撃って敗れたと言われている。しかし現在残る遺構からすれば、戦国期に改修を受けたことは疑いない。

 姫松楯は、一迫川北岸にそびえる標高90mの断崖上に築かれた城である。現在は姫松館森林公園として整備されており、非常に良質な遺構がよく確認できる。東西550m程にも及ぶ巨大な山城で、大きく3つの城域に分かれるとされる。即ち、西館・中館・東館で、それぞれ多重堀切で分断されている。西麓から伸びる山道を登って行くと最初に現れるのが西館で、頂部の曲輪に祠の祀られた櫓台が備わり、南に向かって数段の段曲輪群が連なり、背後は横堀・土塁で防御されてた、簡素な構造の曲輪群である。ここから東に行くと、三重堀切を越えて中館に至る。中館は東西二郭と間を繋ぐ馬出しで構成されている。中館は東西二郭共に、北面に二重横堀を穿って防御しているが、主郭に当たる西郭のものは特に規模が大きく、しっかり普請されたもので、主郭東西の堀切に接続している。堀切にはいずれも土橋が掛かり、虎口はいずれも土塁で防御されているが、形式は平易な坂虎口である。中館東郭には大きな櫓台が備わり、南斜面に腰曲輪群を築いている。中館から更に二重堀切を越えると東館に至る。東館は最も広い面積を持ち、内部は更に数個の曲輪に分かれている。便宜上これらを、西郭・中郭・中二郭・東郭と呼ぶことにする。西郭~中二郭は、北面に横堀を穿ち、南斜面に多数の腰曲輪群を備えている。ここの腰曲輪群は、明確な切岸で区画され、城内では最も普請がしっかりした腰曲輪群である。中郭~中二郭間は二重堀切で分断され、この二重堀切は南側で二重竪堀となって落ち、更に西側の竪堀はクランクしながら腰曲輪群外周の横堀に変化している。中二郭~東郭間は仕切り土塁で区画されている。東館では東郭だけが二重横堀で外周を囲んでおり、中二郭との間で大きな竪堀・竪土塁を南斜面に築いて分断している。これらの他、東館の腰曲輪最下段からは竪堀が何本も落ちている。

 以上が姫松楯の概要で、かなり広範囲に普請が行われ、しかも二重堀切・横堀等を多用した縄張りとなっている。中でも曲輪外周を巡る二重横堀は伊達氏系山城に見られる特徴であるが、一方で伊達氏系山城のもう一つの特徴である端正な枡形虎口はここでは見られない。全て平易な坂虎口で構成されている。城の規模から推測して地方の土豪クラスの城とは考えにくいが、どの勢力による構築であるかは不明である。姫松楯は、公園化の整備が良好で、遺構の破壊は僅かに抑えられているのが好印象である。しかし標柱や縄張りの詳細解説は無いので、キャッスラーでなければ、何がなんだかさっぱりわからないだろう。しかし宮城北部では屈指の遺構で、必見である。
中館の二重堀切→IMG_3397.JPG
IMG_3489.JPG←東館・中二郭の腰曲輪群
東館・東郭の二重横堀→IMG_3539.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.748544,140.962164&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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