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籾井城(兵庫県篠山市) [古城めぐり(兵庫)]

IMG_6503.JPG←西尾根の段曲輪群
 籾井城は、丹波の国人領主籾井氏の居城である。籾井氏の出自は、宇多源氏佐々木氏とも清和源氏であるとも言われるが定かではない。室町時代以前より当地に土着していたと考えられており、南北朝期より足利氏に仕えて福住周辺十五ヶ村を領した。籾井城は、永正年間(1504~21年)に籾井河内守照綱が築いたと言われ、その後籾井氏は勢力を伸ばした八上城主波多野氏に従った。天正年間(1573~92年)に明智光秀が丹波に侵攻した時には、城主は下野守綱利で、1577年に明智勢は綱利の父綱重・弟綱正父子が守る安口城を攻撃して落城させ、続いて籾井城を攻略、綱利は自刃したと言う。また真偽不明であるが『籾井日記』によれば、籾井越中守教業がこの時の城主であったとされ、黒井城主赤井直正が「丹波の赤鬼」と称されたのと並んで、教業は波多野氏の「青鬼」として恐れられたが、明智勢と戦い敗れて滅亡したとも言う。

 籾井城は、標高390m、比高140mの白尾山に築かれている。籾井城跡公園として登山道が整備されているので、登るのは容易である。山頂の主郭を中心に、四方に伸びる尾根上に各々直線的に段曲輪群を連ねた、比較的単純な縄張りとなっている。東尾根の曲輪群は未踏査のため不明だが、それ以外の3つの尾根の曲輪群はそれぞれ先端部を掘切で穿ち、動線を分断している。但しそれほど大きな掘切ではないので、分断効果は限定的である。北尾根の掘切は中央ではなく右寄りに土橋が架かり、内側の曲輪は土塁で虎口を防御している。その外側も平坦な平場が広がっており、先端に虎口があることから外郭として機能したらしい。一方、西の曲輪群は先端だけでなく、途中にも掘切が穿たれている。南の大手筋を降った先には、祠が祀られた平場があり、南の出曲輪であったと思われる。籾井城は、丹波に割拠する土豪の城がどうゆう規模と構造のものであったか、よく示している好例であろう。
北端の掘切と土橋→IMG_6546.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.076791,135.343752&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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山村刑事

こんにちは、僕も数年前に篠山周辺の城跡回りましたが、随分沢山まわられたのですね、何日位で回られたのですか?

ところでアテンザさんは飯盛山城の石垣が持ち去られた「抜き取られた?」と言う話をご存じですか?よく明治時代などに鉄道建設で使用の為に持ち去られたと言うのは聞きますが、いったい誰が何の為に、、本当に頭にきます。
by 山村刑事 (2015-08-23 17:40) 

アテンザ23Z

>山村刑事さん
昨年も丹波の城巡りをしましたが、今年は全行程で4日半です。丹波は高い山が多いので、ヘロヘロになりました。(特に三尾山)

飯盛山城の石垣の件、初耳です。世の中、とんでもない奴が居ますね。でも仏像盗んだりする、ロクでもない罰当たりなマニアが居るので、そのうちに城の石垣も盗む奴が出てくるんだろーなー、とは思ってました。悪い予想が当たってしまったのが残念でなりません。本当に頭にきますね。
by アテンザ23Z (2015-08-24 21:01) 

山村刑事

それはもう楽しいを通り越して、修行か訓練状態ですね!三尾山で訓練をされている方よりもアテンザさんの方がタフかもしれませんね!

飯盛山城の石垣は、車で来て持ち去ったのでしょうが、、てっきり庭石かなにかに使う為に持ち去ったのかと思っていましたが、城マニア、三好長慶マニアの可能性も十分有りますね、、仏像にしても、その場所に有るからこそ、価値が有るのに、犯罪と言う認識が無いのかなー、とにかく残念です、こういう事が起こらない事を願いたいですね!
by 山村刑事 (2015-08-30 18:13) 

アテンザ23Z

>山村刑事さん
何年も前に、嫁にも「修行僧みたい」と言われてしまいました・・・。

石垣の石を持ち去るような人は、文化財を盗む「犯罪」とか言う意識より、自分の手元に置きたいという我欲が勝つんでしょうね。そうゆう人には城歩かないでもらいたいです。そんな奴、キャッスラーの資格ありません。
by アテンザ23Z (2015-08-30 19:45) 

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