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岩尾城(兵庫県丹波市) [古城めぐり(兵庫)]

IMG_6050.JPG←西の丸の石垣
 岩尾城は、織豊期に大改修を受けた近世の山城である。元々は、1516年にこの地の国人領主、和田日向守斉頼が築いたと言われている。その子、作右衛門師季が跡を継いだが、1579年、明智光秀の丹波平定戦で落城した。その後、1586年に近江から佐野下総守栄有がこの地に入部し、岩尾城を近世城郭に改修した。しかし1596年、豊臣秀吉の命によって廃城となった。

 岩尾城は、標高358m、比高258mの蛇山に築かれている。和田小学校の裏から登山道が伸びており、学校に立ち入りのお断りだけ入れれば、比較的楽に登ることができる。岩尾城は比較的小規模な山城で、総石垣の近世城郭的側面と、土で構成された中世城郭的側面が併存した稀有な遺構である。城の南半分は近世城郭部分で、前述の通りほぼ全面的に石垣が築かれている。本丸には小規模な天守台や、古城物見台とされる高台が備わっている。本丸には小さな枡形虎口があって、周りの二の丸に通じている。本丸から二の丸にかけて、帯曲輪や腰曲輪が付随しているが、石垣の残欠がそこかしこに見られる。また本丸西側の西の丸に、岩尾城の現存遺構の中では最も優れた石垣が残っている。西の丸周辺の腰曲輪などにも石垣が残っている。しかし全体にかなり灌木が生い茂っており、あまり良好な整備がされていないので、石垣を一通り見て回るのも一苦労である。一方、城の北側には、本丸の裏に北曲輪があり、ここには石垣が築かれておらず土塁が築かれている。先端は一段高くなっており、その北側には土塁で囲まれた舌状曲輪があり、先端に掘切が穿たれている。一方、北西にも腰曲輪・土塁と掘切が築かれている。この他、城の南西には井戸と竪堀が残り、南端には掘切が穿たれている。南南東に伸びる尾根上には、下知殿丸曲輪・南曲輪・大手門曲輪などが散在し、ところどころに小堀切らしい地形も見られる。中々素晴らしい遺構だが、薮に埋もれつつあり、城内は荒れている。また石垣がなくなった部分も多く、近世城郭的威容にも少々欠ける。城全体の規模としても、中世山城の小規模な結構を引き継いでいるようで、大した居住性をもっておらず、近世城郭化された後も詰城としての位置付けだったものと考えられる。有子山城などと比べると、格の違いというか、城の規模の違いがよく分かる。
薮に埋もれた腰曲輪の石垣→IMG_6030.JPG
IMG_6110.JPG←北端の堀切と土橋
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.099652,134.974819&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:近世山城
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