So-net無料ブログ作成

今回の安保法制に賛成している人達は、近代的な立憲主義や法治主義を全く理解していない人々 [雑感]

 安保法制に反対している人のことを、現実を理解していない理想主義者だとか、厳しさを増す安全保障環境を理解していないとか、或いは、厳しい新3要件を付加した限定的集団的自衛権の行使では戦争は起きるわけがないとか、賛成派の連中がいろいろなことを言っている。

 口汚く罵るだけの連中や、反対派を見下した様な発言をする連中のほとんどは、ネットの世界でしか自己発散できないネトウヨか、『日本会議』に注射された工作員なので、論ずるまでもなく、ここでは取り上げない。
 しかし、それ以外の一見理性的に発言する賛成派は、その意見を私が見る限り、近代的な立憲主義や法治主義を全く理解していない。

 今回、多くの憲法学者やその他の知識人と呼ばれる人々、また映画界などの著名人や文化人も含めた多くの国民が反対している理由は、今回の安保法制で、単に戦争のリスクが激増するだけでなく、この法律制定の行為自体が、根本的に近代的立憲主義・法治主義に反しているからである。
 この点について、理路整然と反証している賛成派の意見を、私は全く聞いたことがない。

 多くの国民が問題にしているのは、一内閣が、憲法の解釈を勝手に捻じ曲げ(或いは拡大解釈して)、憲法を空文化していることである。憲法解釈を勝手に捻じ曲げるぐらいだから、その下位にある法律に至っては、政権の専横に対して全く抑止力にならない。国会答弁に至っては問題にもならない。だから、いくら国会で議論を重ね、アベが答弁を繰り返して「大丈夫です、戦争なんて起きません」と言ったところで、そんな言葉は将来に対して何の保証にもならないわけである。将来、第2のアベが出てきて、「国際情勢が緊迫しているので解釈を変えます」、と言えばそれきりである。

 近代的な立憲主義・法治主義というのは、過去の帝政国家・独裁国家による、破滅的で国民の権利抑圧やその犠牲に全く顧慮しない暴政を抑えるためにできた制度だ。為政者の暴走を抑えるために、憲法や法律で為政者を縛ることがその根本原理なのである。国際情勢が厳しいという理由だけで、この根本原理を放棄する理由にはならない。
 一旦、この根本原理の放棄が認められれば、将来同じことが繰り返されて、為政者の暴走を抑える術は、国民の手から永遠に失われるであろう。
 今は「極めて限定的な行使」と言っていても、立憲主義・法治主義という根本原理を放棄しようというのだから、数十年後にも限定的な行使であることがどうして保証されよう。しかも国会答弁で繰り返されるのは、自衛権の行使は「時の政府が総合的に判断する」という、およそ縛りにも何にもならない答弁で、これは時の政権に戦争決定のフリーハンドを渡すに等しい。

 こうした法制定の行為と国会答弁を信じて、「戦争危機が遠のく、中国・北朝鮮の侵略行為に対抗できる」と考えている人達は、それが大真面目に考えてのことならば、よほどオメデタイ思考回路をお持ちなのだろう。また近代日本が、昭和恐慌以降に急速に右傾化し、破滅的な戦争へと転がり落ちていった歴史を全く理解していないのだろう。


 ついでに申し述べれば、『日本会議』に注射された連中がよく言う、「大東亜戦争はアジア解放のための聖戦だ」などという意見は全く理解し難い。真珠湾攻撃を以って始まる太平洋戦争は、歴代の政権が失政に失政を重ねた挙句に国際社会から完全経済封鎖をされ、やむを得ず南方資源を手に入れるために起こした戦争で(今風に言えば日本の「自爆」)、およそ聖戦の名に値しない。「アジア解放」というのは、自爆した帝国政府の後付けの大義名分に過ぎない。またこれを「自衛戦争」と呼べるのなら、現に経済制裁が行われている北朝鮮が日本を攻撃しても、自衛戦争と呼べることになってしまうだろう。好むと好まざるとに関わらず、歴史を直視できない人間は、国にとって有害無益である。
nice!(2)  コメント(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

メッセージを送る