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桜井城(千葉県旭市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_8054.JPG←主郭外周の土塁
 桜井城は、下総の名族千葉氏の庶流上代氏の居城と言われている。伝承では、千葉常胤の6男東胤頼が築いたと言われ、胤頼は後に須賀山城を築いて居城を移したと言われるが確証はない。戦国後期には千葉氏の庶流上代氏が城主であったとされ、1565年に里見氏の重臣正木大膳が東総に侵攻した際には、上代掃部之助胤正は桜井城に籠って防戦したが、武運拙く落城したと伝えられている。小田原北条氏の滅亡後に徳川家康が関東に移封となった後、1592年に徳川氏の家臣松平家忠が武蔵国忍城から桜井城に移封となった。しかし1594年に家忠が小見川城に移されると、桜井城は廃城となった。

 桜井城は、比高40m程の独立丘陵に築かれている。山稜はL字状に曲がっており、南北に伸びる尾根に主城域を構築し、東西に延びる尾根に出城(南郭群)を有している。この山稜に囲まれた内懐の緩斜面に家臣団居住区があったものと推測され、その形態は一宮城などの上総式細尾根城郭の一部に近い。山稜上の遺構へは、この東側の緩斜面からガサ藪の中へと小道が伸びており、そこから登ることができる。山稜の中央部には方形に近い主郭があり、比較的大きな土塁で三方を囲繞している。主郭南東端には虎口が築かれており、下の腰曲輪群へと通じている。主郭の北側がニノ郭群となる。斜面に段々に曲輪群を築いており、主郭との間は城道を兼ねた堀切で分断しているが、二ノ郭群は倒竹地獄で全体を踏査できない。一方、主郭から細尾根を南に辿ると、途中に小堀切や腰曲輪を眺めつつ、南郭群に至る。この南郭群は、東西に伸びる尾根上に曲輪群を直線的に配置し、側方に帯曲輪を巡らした簡素な構造となっている。曲輪間は一応掘切で区画されているが、いずれの掘切も浅く大した分断効果をもたらしていない。曲輪も削平が甘く、主城部の遺構群と比べると時代的にかなり古い印象である。鎌倉~南北朝期頃の古い遺構ではないかと推測され、戦国期には使用されていなかったか、使用されたとしても物見台程度で積極的な使用はされていなかったと思われる。桜井城は、全体に藪が多く、遺構も思ったほどのものではなく、ややがっかりする。
主郭~ニノ郭間の掘切→IMG_8026.JPG
IMG_8105.JPG←南郭群の浅い掘切
 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.784129,140.64826&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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