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伊達政宗(儀山公)墓(山形県高畠町) [その他の史跡巡り]

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 伊達氏9代大膳太夫政宗(儀山公)は、伊達氏中興の祖と呼ばれ、戦国末期に彗星の様に現れて奥州を席巻した独眼龍政宗(貞山公)の先祖である。南北朝時代後期に父宗遠と共に周辺地域への領土拡大を積極的に図り、1380年から85年にかけて置賜地方に侵攻して長井氏を滅ぼし、その領土を併呑した。政宗の正室紀氏は、3代将軍として絶大な権力を振るった足利義満の生母の妹であり、将軍の叔父という姻戚関係を背景として、将軍義満と鎌倉公方足利氏満との対立の中、氏満と関係の深い長井氏領へ宗遠・政宗父子で攻め入ったものと考えられている。その勢威を以って鎌倉公方や稲村・篠川御所に抗して3度にわたって兵を挙げ、降伏してからも勢力を保ち続けた。政治的手腕に長け、文武を兼ねた政宗は伊達氏中興の祖と言われることとなった。置賜併呑後、政宗は出羽高畠城(屋代城)に移って、1405年にそこで没したと言われており、高畑の地に政宗夫妻の墓がある。この墓はしばらく埋もれていたらしいが、明治21年に伊達家による歴代当主墓所の調査の際に発見されたと言う。

 丘陵上に置かれた墓は、一風変わった五輪塔で、火輪の上の風輪が縦長に伸びており、空輪は頂部の突出が無く(摩滅したものか?)球形をしている。置賜、特に米沢は、上杉氏の遺跡のみ盛んに宣伝されてよく知られているが、実際にはこうした中世の伊達氏の遺跡が多数残っている。もっと伊達氏の歴史を積極的に宣伝してもよいのにと思う。

 尚、政宗夫妻の墓は資福寺館にも建っている他、福島県伊達市内にも政宗の墓と伝えられている五輪塔が存在する。

 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=38.036742&lon=140.213177&z=16&did=std&crs=1
タグ:墓所
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