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直江石堤(山形県米沢市) [その他の史跡巡り]

IMG_1329.JPG←野面積みの石堤
 直江石堤は、正式には谷地河原堤防と呼ばれ、上杉景勝の執政直江山城守兼続が築いた堤防である。1600年、豊臣秀吉亡き後に独断を強めた徳川家康に対して激しく抗した為、関ヶ原合戦の導火線となった会津の上杉景勝は、関ヶ原合戦で西軍敗戦の後、会津120万石から大減封されて米沢30万石に移された。兼続は、景勝の居城となった米沢城下の町作りの為に、洪水の多発地帯であった最上川に築堤が不可欠と判断して、近くの赤崩山に登って形勢を検討し、この石堤を築いたと言われている。
 また、石堤の上流2.5km程の所に掘立川に導水するための堰、猿尾堰が築かれたが、兼続は堰の着工前に城下の水難火難の無事を祈って、「龍師火帝の碑」を建立したと言う。

 直江石堤は、現在公園化されており、公園の西側に延々と堤防が伸びている。現在の最上川の流路からは結構離れた場所にあるが、これは近年の河川改修によって大きく流路が変えられたためらしい。多くは雑草に埋もれているが、一部に野面積みの石堤がはっきりと見られ、特に県道151号線の下流側は規模が大きく見応えがある。
 また、龍師火帝の碑は中ノ在家楯に程近い場所にあり、城に登る前に立ち寄った。改修された導水路の脇に往時の石碑が整備されて建っており、「龍師火帝」の文字が刻まれているのがはっきりと分かる。少々行き辛い場所にあるが、兼続ゆかりの遺蹟として一見の価値がある。
龍師火帝の碑→IMG_1339.JPG

 場所:【直江石堤】
     http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=37.86723&lon=140.12122&z=16&did=std&crs=1
     【龍師火帝の碑】
     http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=37.844968&lon=140.123645&z=16&did=std&crs=1
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