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助崎城(千葉県成田市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_4715.JPG←主郭外周の大空堀
 助崎城は、千葉氏の庶流大須賀氏の一族、助崎大須賀氏の居城である。大須賀氏は、千葉常胤の4男大須賀四郎胤信を祖とし、松子城を本拠に、助崎城など東総地域に多くの支城を有していた。中でも助崎城を本拠とした助崎大須賀氏は、惣領の松子大須賀氏と並び立つ勢力を有し、1455年の享徳の乱の際には、関東管領山内上杉氏を支援する室町幕府から派遣された東常縁に付いた松子大須賀氏に対し、助崎大須賀氏は古河公方足利成氏に属し、「信濃守」を称して本佐倉城の千葉氏に仕えるなど、政治的には惣領家とは独立した勢力を有した。戦国時代には、千葉氏と共に小田原北条氏の麾下に属し、岩槻城滝山城に在番した。1590年の小田原の役の際には、助崎城も豊臣秀吉の派遣した軍勢によって、落城したとも言われるが、確かなことは不明である。

 助崎城は、尾羽根川北岸の比高25m程の丘陵上に築かれた城である。先端に主郭を置き、背後に続く台地上にニノ郭・三ノ郭や外郭群などを築いた、かなり広大な城である。しかし主郭~三ノ郭以外は宅地化が進み、改変が激しく遺構が明瞭でない部分も多い。主郭はほぼ完存しており、周囲に大きな空堀と帯曲輪を巡らして防御し、主郭内部は隅部のみ土塁を築いて防御を固めている。主郭とニノ郭の間は車道が通っているが、明らかに往時の大堀切である。ニノ郭は畑と化しているが、先端近くに横堀状虎口が築かれ、西側に腰曲輪も確認できる。三ノ郭は進入不可能な畑であるが、西側に櫓台とその腰曲輪が築かれている。一方、稲葉山と呼ばれる外郭の周辺にも遺構が残っており、西端郭に比較的小規模な横堀と竪堀状虎口が築かれ、櫓台が備わっている。助崎城は、小田原北条氏に属した有力国人領主の城らしく規模は雄大である。
稲葉山西端部の横堀・虎口遺構→IMG_4795.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=35.842361&lon=140.363549&z=16&did=std&crs=1
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イラブ

こんにちは、千葉は馴染みの城が多く、とても楽しく拝見しています、しかしスゴい機動力ですね! 自分は面倒くさくなりパスした所もかなりあったり、帰宅後に再訪だった事に気付いたり(苦笑)
現住地の神奈川からすると、どこも羨ましい限りなのですが・・・今は開発による破壊よりも耕作放棄・放置植林等で激藪化が 進行中ですね、リタイヤーしたら「草刈り隊」でも結成しようかと(笑)
それでは今後も楽しませて頂きます!
by イラブ (2014-08-23 17:19) 

アテンザ23Z

>イラブさん
いえいえ、イラブさんもかなりコアな城に行かれていて、素晴らしいです。私は正直、千葉は出身県で「知ってるつもり」もあり、本格的な山城が少なく段丘上の城ばかりなので、当初はあまり気乗りしていなかったのが本音ですが、実際に行ってみたら「目からウロコ」でした^^;。
耕作放棄は全国的な問題ですね。一昨年行った静岡なんかは、耕作放棄茶畑ばかりでびっくりしました。このままでは、遺構が埋もれる以前に、国内農業が崩壊してしまいますね。
by アテンザ23Z (2014-08-23 19:37) 

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