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三船山古戦場(千葉県君津市) [その他の史跡巡り]

IMG_3118.JPG←山頂部の砦跡
 三船山古戦場は、小田原北条氏と安房里見氏の間で戦われた古戦場である。1564年、第二次国府台合戦で里見氏を撃ち破った北条氏は、勝浦正木氏や東金酒井氏らを従属させ、上総侵攻の機会を伺っていた。1567年、上総の重要拠点で里見義弘の本拠でもあった佐貫城を攻略する為、三船山に砦を築いて藤沢播磨守・田中美作守らに守らせた。一方、体勢を立て直した里見氏は、佐貫城防衛の為逆襲に転じ、三船山砦に攻め寄せた。急報を受けた北条氏政は小田原城を出立して江戸湾を渡海し、三船山砦に本陣を敷いた。里見方は正木時茂の養子憲時率いる8000余騎の本隊が佐貫城から出陣して三船山の北条勢に突撃した。激戦の中、時茂率いる里見方別働隊が北条勢を背後から急襲し、挟撃された北条勢は一気に劣勢に陥り、殿を務めた岩槻城主太田氏資が討死して北条氏は大敗を喫した。この敗北によって、北条氏の両総攻略は一大蹉跌を余儀なくされ、一旦従属した国衆は再び離反した。一方、追い込まれていた里見氏は勢いを盛り返し、下総に侵攻するなど1576年の北条氏との和睦まで優勢を保つこととなった。

 三船山古戦場は、標高138.7mの三船山一帯で戦われた。この山の山頂部は広くなだらかな丘陵地となっており、それほど標高は高くないが眺望に優れ、東京湾一帯が一望できる。大軍を駐屯させるには便利であろうが、地形的な要害性はそれほどなく、また現在でも複数のハイキング路が整備されているので、攻め寄せやすい地勢だったものと思われる。山頂部には「三船山陣跡」の標柱・解説板が設置され、そこからやや東に離れた場所に、大きな塚が3つ築かれている。これはこの戦いで戦死した北条方の将兵を弔ったものらしい。ハイキングに適した、房総半島の戦国史の転機となった古戦場である。
山頂に残る塚→IMG_3124.JPG

 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=35.30034&lon=139.894332&z=16&did=std&crs=1
タグ:古戦場
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