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小金城(千葉県松戸市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_2849.JPG←達磨口の櫓台と堀切
 小金城は、大谷口城とも呼ばれ、下総北西部に勢威を張った高城氏の最後の居城である。高城氏は、下総の名族千葉氏に属し、千葉氏の筆頭家老原氏の重臣として東金酒井氏・土気酒井氏と共に活躍した。最初は15世紀中頃に栗ヶ沢城を築いて居城としたが、勢威の拡大に伴い高城下野守胤忠が根木内城を築いて居城を移した。永正年間(1504~21年)には、小弓公方足利義明を擁した里見氏は東葛地域に攻め寄せ、高城氏は根木内城近くの行人台の戦いでこれを撃退した。この後、高城胤吉は1530年から手狭になった根木内城に代わって小金城の築城を開始し、7年の歳月を掛けて完成させ、居城を移した。その後小金城は、胤吉・胤辰・胤則と3代57年間に渡る居城となった。小金城が築かれた頃、小田原北条氏の勢威が関東を覆い始めており、1538年には北条氏綱は古河公方足利晴氏の要請で、小弓公方足利義明と国府台で戦い(第一次国府台合戦)、小弓公方を滅亡させる大勝利を得た。この時、高城氏は北条氏に従って戦い、以後、北条氏の他国衆として遇され、その傘下で活躍した。1590年の小田原の役の際には、城主高城胤則は小田原城に籠もり、小金城は家老の安蒜備前守らが守った。小金城は浅野長政らが率いる上方軍に包囲され、開城後焼き払われた。そして北条氏滅亡と共に高城氏も滅んだ。

 小金城は、その築城の詳細な歴史が残る稀有な中世城郭で、東葛地域最大の城域を誇る広大な城である。しかしその城内は市街化の中に埋没し、大半の遺構は既に失われている。遺構が残っているのは、大谷口歴史公園と大谷口馬屋敷緑地と、大倉記念病院東側の山林内(達磨口跡)ぐらいである。いずれも断片的な遺構にすぎないが、畝堀跡や櫓台と堀切状虎口の跡が残っている。また宅地化しているものの、段丘上に築かれた城の地勢は健在で、そこかしこに外郭線などの切岸跡が残っている。昭和30年代後半に市街化で破壊されるまでは、かなり良好に遺構が残っていた様なので、高度成長期の乱開発が惜しまれる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=35.832091&lon=139.920483&z=16&did=std&crs=1
     (主郭の位置)
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