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多賀谷氏館(埼玉県加須市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC07561.JPG←館跡に建つ大福寺
 多賀谷氏館は、後に下総結城氏の元で半独立的領主として活躍した多賀谷氏の草創の地である。多賀谷氏は、武蔵七党野与党に属した道智氏の一族で、 平安時代末期にこの地に入部して多賀谷氏を称し、源頼朝の上洛の随兵や弓始射手として活躍した。室町時代になると、この地を領した結城氏に属し、結城に移住した。その後、結城合戦後に滅亡した結城氏の再興を果たすなど活躍し、享徳の乱の時に鎌倉公方足利成氏より下妻三十三郷を与えられ、後に下妻城を築いて本拠を移した。戦国時代には主家結城氏からほぼ独立した勢力を有し、佐竹氏と同盟して小田原北条氏の勢力拡張に抵抗した。関ヶ原合戦の際、徳川家康に敵対した為、合戦後に改易されて滅亡した。

 多賀谷氏館は、現在の大福寺の地にあったと言われるが、遺構は既に湮滅している。境内には14基もの板碑が残り、わずかに多賀谷氏の足跡を今に伝えている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.33.38.0N36.6.31.2&ZM=9
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evergreen

多賀谷重経は一時かなりの勢力になったはずなのですが、
足跡があまりはっきりしませんね。

個人の力で勢力を拡大したものの、
豊臣という大勢力に無力感を感じ求心力が落ちたところで、
家臣団が結城と佐竹に分断されてしまった・・・
というような感じなのかなと想像していますが、
下妻城没収処分も理由に比べて重くて不自然なような気もします。


by evergreen (2014-02-13 11:39) 

アテンザ23Z

>evergreenさん
多賀谷氏に限らず、関東の外様大名の末路は悲惨ですね。佐野氏にしろ里見氏にしろ、何かしらの理由を付けて改易されていますので、多賀谷氏も例外ではなかったのでしょうね。遠く離れた備中に移封された水谷氏などは、まだ幸運だったのでしょう。
by アテンザ23Z (2014-02-13 22:36) 

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