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見付端城(静岡県磐田市) [古城めぐり(静岡)]

DSC04954.JPG←墓地外周に残る土塁
 見付端城は、今川氏が築いた城である。この地には元々遠江国府が所在し、南北朝時代に足利一門として足利尊氏に従って各地を転戦して今川氏興隆の礎を築いた今川範国は、遠江における拠点として見付端城を築いたと言う。その後、今川範氏・泰範は駿河に進出して拠点を移し、見付端城は庶家今川了俊を祖とする遠江今川氏の数代の居城となった。後に堀越館に移ったものと推測されている。室町時代後期には、今川義忠の遠江侵攻に抵抗した狩野宮内少輔・横地氏・勝間田氏らの拠点となったと思われる。戦国時代には、城主の堀越用山(今川貞基)は、花倉の乱で反義元派となった為、今川義元の命を受けた犬居城主天野氏により、1537年に攻め落とされた。その後、義元の持ち城となり、1563年、堀越氏一族の時に焼失したらしく、後の1569年に徳川家康が城之崎城築城の時に廃城となったと考えられる。

 見付端城は、現在の大見寺から磐田北小学校にかけての一帯に築かれていた。古絵図によれば、東を流れる今之浦川を外堀とし、大見寺境内を主郭、磐田北小敷地をニノ郭として、それぞれ方形の土塁で囲んでいたらしい。現在は市街化で遺構の湮滅が進んでいるが、大見寺境内墓地の南と西側に土塁が残り、西側には堀跡も残っている。しかしかなり改変が激しい。地元のご老人の話では、今川義忠が塩買坂での討死の前に攻め落としたのは、この城であったそうだが・・・。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.728281/137.858773/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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