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天方城(静岡県森町) [古城めぐり(静岡)]

DSC09986.JPG←主郭外周の空堀
 天方城は、天方新城とも呼ばれ、国人領主天方氏の居城である。築城時期は明確ではないが、応永年間(1394~1428年)の初め頃には山内対馬守が城主で、天方城を弟の山城守に譲り、自身は飯田城を築いて移ったとされる。但し、この時の天方城は、大鳥居にある本城山に築かれた天方本城と考えられている。14世紀後半の山内豊後守通秀が天方氏を称し、その後、天方山城守通興の時に、遠江に勢力を拡大していた駿河の今川氏の被官となり、より要害性の高い天方新城を築いた。今川氏没落後に徳川家康が遠江に侵攻しても、通興は今川方として抵抗したが、1569年に激しい攻撃を受けて徳川氏に降伏した。1572年に武田信玄が遠江に進撃すると、天方氏も武田氏に降り、天方城は久野弾正忠宗と天方山城守に守らせた。しかし信玄が陣没すると、家康は平岩親吉を将として派遣し、天方城を再び攻略した。その後天方氏は徳川氏の家臣となり、通興の子通綱は、二俣城で家康の嫡子信康が自刃させられた際、介錯を務めた。通綱は後に信康介錯のことをはばかって高野山に入り、後年、家康の次男で越前藩主となった結城秀康に召し出されて仕え、越前天方氏となった。一方通興は、通綱が高野山に入った為、家名存続の為に外孫の通直(青山播磨守忠成の5男)を養子とした。通直は家康・秀忠に仕え、大阪冬の陣で戦功を挙げ、江戸城に勤仕する旗本となった。

 天方城は、標高248mの城ヶ平に築かれた山城で、現在城ヶ平公園として整備されている。ここは山上の城址公園で、太田川沿いの県道からの車道はかなり距離がある。天方城は、空堀で囲まれた広い主郭と、その北側斜面の二ノ郭から構成された単純な縄張りである。主郭には空堀に沿って土塁が巡らされ、遺構が良く残っている。ニノ郭は、斜面となっていて削平がほとんどされていない様である。その外周にも浅い空堀が残っている。それほど規模の大きな城ではないが、徳川・武田争奪の舞台となった城で歴史的に重要である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.847691/137.949990/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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