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犬居城(静岡県浜松市天竜区) [古城めぐり(静岡)]

DSC08923.JPG←竪堀と東曲輪の横堀・腰曲輪
 犬居城は、北遠の国人領主天野氏の歴代の居城である。天野氏は、源頼朝の側近であった天野遠景を祖とする鎌倉幕府の御家人で、承久の乱の後、山香荘の地頭となってこの地に入部した。1333年の倒幕戦の際には、天野経顕は一族を率いて新田義貞の鎌倉攻めに参陣して軍功を挙げた。南北朝時代には他の武家と同じく、一族内で南北両朝に分かれて抗争が繰り広げられたが、北朝方の一族が勢力を伸ばし、以後、周辺に徐々に勢力を扶植して、樽山城篠ヶ嶺城勝坂城などの支城網を構築して、北遠を代表する国人領主に成長した。戦国時代には遠江に進出した今川氏に属し、今川義元の時代にはその忠実な家臣となって各地を転戦して軍功を挙げ、北遠の要として位置付けられた。しかし1560年に今川義元が桶狭間で討死にすると、徳川家康は今川氏から独立して遠江攻略に乗り出し、天野氏も今川氏から離反して徳川氏に属した。その後、武田信玄が遠江に進出すると、1571年頃には武田氏に従属し、翌72年の信玄の西上作戦で武田軍の先導を務めるなど、遠江における武田氏の尖兵として活動した。その為、激怒した徳川家康から2度にわたる攻撃を受け、一度目の74年の攻撃は徳川軍を撃退した天野氏であったが、翌75年には武田勝頼が長篠合戦で大敗し、76年に再び大挙侵攻してきた徳川軍の前に犬居城を落とされた。天野氏は勝坂城に逃れて最後の抵抗を試みたが、衆寡敵せず、甲斐に逃れて没落した。この時、犬居城も廃城となった。

 犬居城は、標高250m、比高140mの行者山に築かれた山城である。東西に伸びる尾根上に曲輪を配した連郭式の縄張りであるが、随所に武田氏による改修の跡が見受けられる。ニノ郭全面に置かれた東曲輪は、周囲を横堀で固め、側方から土橋で腰曲輪と連結した構造で、丸子城のものに酷似している。またこの東曲輪と二ノ郭は堀切で分断されており、中央の土橋でニノ郭虎口に連結している。この堀切の南北は竪堀となって斜面を落ちているが、特に南側の竪堀は長大で規模が大きく、城への登り道が途中で竪堀を横断しており、その規模がよく分かる。主郭とニノ郭は段差だけで区画され、共に東西に長く南北に狭い曲輪で、削平はやや甘く、それほど大規模な建物は置けなかったであろう。主郭の西に一段高く物見曲輪がそびえ、その西側下方に堀切があって城域が終わっている。一方、城の主要部の北側斜面には腰曲輪が取り巻いており、一部には横堀が穿たれている。その更に下方に段曲輪があり、最下方に井戸曲輪がある。また東曲輪の北側にも堀切を挟んで広く平坦な出曲輪が築かれている。犬居城は、若干普請が不徹底な面も拭えないものの、「武田流築城法が随所に見られることから、天野氏が対徳川戦に備えて、元亀年間(1570~73年)頃に武田氏の支援を受けて大改修が行われたと考えられている」(静岡県の城総覧)と言う通りの良好な遺構である。
東曲輪から落ちる竪堀→DSC08880.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.961899/137.889994/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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