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静岡の城 [城郭よもやま話]

 月日が経つのは早いもので、冬は瞬く間に過ぎ去り、関東では桜も咲き終わって、今は新緑が日に日にその色を深めている。

 この冬は、静岡の城を集中的に見て回った。昨冬の伊豆の城巡りに続いて、今季は駿河・遠江まで足を伸ばした。

 駿河・遠江の城を東から訪ねて行くと、最初は北条・武田の接壌地帯。その先は、今川の城を武田が改修した城が続き、更に西に行くと、武田が制圧し改修した城を徳川が西から順に攻略して行った城となる。まさに甲斐武田の勢力拡張から衰退・滅亡までの道のりを、地で見る城歩きであった。

 それにしても驚いたのは、静岡には武田が大改修した規模の大きな城がとても多い。国指定史跡にもなっている諏訪原城などは良い例であるが、それ以外にも山岳地帯から海岸線に至るまで、県内各地にその爪痕を残している。駿河・遠江を武田が支配したのはわずか14年間に過ぎない。その間にこれだけの城を普請するのは、並大抵の労役負担ではなく、いかに武田が領内に暴政を敷いていたかを城の遺構が如実に物語っている。城は素晴らしいが、それゆえに国内は疲弊し、民心は離反し、その領国は勝頼の代になって瞬く間に崩壊してしまったのである。世間では、戦に強く、領国を東西南北にと拡げていった武田信玄の人気が相変わらず高いが、私が信玄をあまり評価しない理由はその領国経営の稚劣さにあり、その点が民心を掴んで高度な統治体制を敷いていた北条とは一線を画しているのである。

 さて、静岡と言えば、海の県というイメージが強いが、県内の城を隅々まで訪ねると、実は山岳も多い県であることがよくわかる。何しろ南アルプスの一部が県内に掛かっているし、遠江の大河天竜川を遡っていけば、信濃に達するのである。かつて西上戦の折、武田信玄はまさにこのルートを使って遠江から三河へと進軍したのである。

 ところで静岡の城は、どんなマイナーな山城に行っても綺麗に登山道が整備され、案内標識や解説板・標柱が立っている。静岡には「静岡古城研究会」という老舗の研究会があって、その啓蒙活動が素晴らしく行き届いているのだろう。おかげで、標柱も何もない城の方が数が少ないほどである。この点は、私の住んでいる栃木県などは大いに見習うべきだろう。

 それにしても、静岡といえば茶どころであるが、こんな山上にまで茶畑があるの?と思うぐらい、山の上にまで茶畑を作っている。そして多くの山城が、今は茶畑に変貌している。茶畑の裏の尾根には、堀切が隠れていたりすることも多い。ただ、やはり後継者不足か、耕作放棄地が非常に多い。そのため茶の木が伸び放題となり、茶葉の薮に変貌している例にも少なからず遭遇した。このままでは国内で大量に消費されている茶葉も、いつまで安定的に確保できるものか、将来に不安を感じざるを得ない。政治の無策に心が暗くなる。

 そんな、いろんなことを感じながら、時には新鮮な海の幸に舌鼓を打ちながら巡った、楽しい城歩きであった。
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ノリパ

武田はそうなんですね、勉強になります。静岡のお城シリーズ楽しみです。名古屋からも近いですから、それがしもチャレンジしてみなきゃ。
by ノリパ (2013-04-14 16:11) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
いつもながら、ブログアップが遅れ遅れですみません・・・(^.^;
今月いっぱいは山形シリーズが続きますが、
来月頭ぐらいから静岡シリーズ突入予定ですので、
それまでしばしご辛抱を・・・。

名古屋からならちょっと足を伸ばせば浜松・掛川方面に行けますから、
いろいろ楽しめると思います。
遠江での隠れたオススメは、家康の築いた小笠山砦です。
高天神城攻めの本陣ですが、
横堀を多用した大規模な陣城で、その規模に驚きました。
by アテンザ23Z (2013-04-14 17:43) 

evergreen

駿河侵攻で徳川と北条に敵対する事になってしまったのに、
やっと手に入れた海運を生かす事ができなかった事、
穴山信君等の駿河治世の人選が適切だとは言えない事、
など、信玄の戦略や外交手腕にも疑問がありますね。
宮城谷氏の「風は山河より」は、
小説とはいえ、時代の雰囲気を捉えているのではないかと思いました。
今川の頃の駿府の反映を考えれば、今川の治世ももっと評価されてもいいと思いますね。
by evergreen (2013-04-14 18:11) 

アテンザ23Z

>evergreenさん
たまたま浜松のおでん屋さんで一緒になった地元の方は、
「静岡県人は徳川より今川の方に愛着がある」と言っていました。
真偽の程はわかりませんが、
静岡の人なら今川贔屓の人も多いかもしれません。
全国区では少数派でしょうが。

でも武田も徳川も侵攻した時にはかなり反撃にあって苦戦していますから、
やはり今川の治世が地元には広く受け入れられていたんでしょうね。
by アテンザ23Z (2013-04-14 20:18) 

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