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上三川城(栃木県上三川町) [古城めぐり(栃木)]

IMG_9766.JPG←本丸周囲の土塁
(2006年7月訪城)
 上三川城は、下野の名族宇都宮氏の支城である。宇都宮氏5代頼綱の次男越中守頼業が横田郷に入部して横田氏を称し、鎌倉時代初期の1237年に横田城を築いた。しかし1249年に、新たにより南方の地に上三川城を築いて居城を移し、以後、横田氏の、後にはその支族今泉氏の歴代の居城となった。上三川城は、多功城と共に宇都宮領南方の防衛拠点であり、戦国時代には南方から宇都宮領に侵攻する勢力と、度々激しい戦闘が行われた。1558年、越後の上杉謙信が下野に侵攻した際、その目標となった多功城に多数の援軍を送って奮戦した。又、1586年には、久下田城主水谷蟠龍斎正村が1000余騎で上三川城に押し寄せた。この時は、城主泰光は迎え撃つ宇都宮勢の一翼を担って砂田で対陣し、水谷勢を撃退した。こうして戦国時代を乗り切った上三川城であったが、思わぬ出来事により廃城の憂き目に遭う。即ち、豊臣秀吉の時代の1597年に、宇都宮国綱の継嗣を秀吉の重臣浅野家より迎えようとしたところ、国綱の弟芳賀高武が激怒し、上三川城を襲撃し落城させたのである。城主高光は菩提寺の長泉寺に逃れて自刃し、城はそのまま廃城となった。

 上三川城は、現在城址公園として整備されている。本丸跡しか残っていないが、公園内に主郭周囲の土塁がほぼ完存し、周囲の水堀も改変されているものの良好に残っている。土塁は高さ4~5m程もある立派なもので、南西部は南に開いた大手虎口に対して横矢を掛ける形で櫓台が張り出している。周辺は完全に市街化しているので、本丸以外の遺構は確認できないが、本丸がこれだけ良好に残っているだけでも、市街地の平城としては感動モノである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.436199/139.915513/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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