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梶原堀の内(東京都北区) [古城めぐり(東京)]

DSC02566.JPG←屋敷があったとされるポンプ所
 隅田川南岸の堀船には、かつて梶原堀の内と言う、城館があったらしい地名があった。しかし城館の明確な存在は不明である。伝承によれば、戦国時代末期に太田道灌の孫で、太田資正(三楽斎道誉)の子梶原政景が、東京都水道局王子ポンプ所辺りに屋敷を構えていたと言われている。梶原の姓は、1558年に古河公方足利義氏が葛西城で元服した際に太刀役を務め、梶原の姓を与えられたという説(異本小田原記)や、1561年に長尾景虎が、山内上杉憲政から上杉姓と関東管領を譲られた拝賀の時に、梶原姓を与えられたとする説(北条記)がある。いずれにしても政景は、小田原北条氏の傀儡と化していた古河公方義氏に近侍していたが、後に父資正と共に北条氏に叛して出奔し、常陸の佐竹義重を頼り、柿岡城主となった。一方、「北条氏所領役帳」では、梶原堀の内は太田新六郎の知行地となっており、室町時代後期に没落した豊島氏に代わって太田氏がこの地を領有し、その配下に梶原氏を称する人物がいたとも考えられる。
 梶原堀の内は、その存在すら地名以外に明確なものはないので、当然遺構は残っていない。一面の市街地が広がっているに過ぎない。尚、王子ポンプ所の南東にある福性寺の本堂前の茂みには「梶原塚」があり、梶原の地名の発祥と言う。
福性寺の梶原塚→DSC02561.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.756508/139.748315/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:居館
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