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御嶽城(東京都青梅市) [古城めぐり(東京)]

DSC02238.JPG←北出丸の先の堀切
 御嶽城は、霊峰御嶽山に築かれた山城である。山頂に鎮座する武蔵御嶽神社の創建は古く、天平時代の736年に、僧行基が東国鎮護の為に蔵王権現を勧進したのが始まりと言われている。その後、兵乱により荒廃しつつも存続し、1191年には坂東武者の鑑と言われた畠山重忠が大鎧を奉納しており、それは現在国宝に指定されて宝物殿に大切に保存されている。1234年には大中臣国兼が社殿を再興し、同年四条天皇より国宝円文螺鈿鏡鞍が奉納されている。明治以前は御嶽山蔵王大権現と称していたが、明治時代の神仏分離と廃仏毀釈によって、御嶽神社と改称された。この様に、古代から永続している山岳信仰の聖地であり、御嶽城は戦国大名が築いたと言うよりも、武装化した僧兵によって山岳寺院が城塞化されたと見做すべきだろう。関東管領上杉氏や青梅を支配していた三田氏の庇護下で存続していた御嶽山蔵王大権現は、三田氏滅亡後は小田原北条氏の庇護を受けたと考えられる。従って、甲斐武田氏の秩父侵攻が始まった頃に、武田氏に備える為に城塞化されたと推測される。

 御嶽城は、現在都下でも有数の観光地であるらしく、奥深い山地の中にありながら、人出が多く辟易する程である。標高929mの山頂に行くには、標高830mまで一気に登るケーブルカーに乗り、その後は延々1km程の道のりを歩いていかなくてはならないので、思ったよりも大変である。山上には多くの集落があって、土産物さんが立ち並んでいる。御嶽山の北東の尾根の先、ビジターセンターの裏の高台には、腰曲輪と物見台、それに小堀切や動線遮断の竪堀がある。ビジターセンターも曲輪の一つだったと考えられ、出丸として機能していた区画だった様である。そこから御嶽神社の鎮座する主郭部までは、宅地化等によって改変されており、明確に遺構と断定できるものはない。主郭部も神社境内となっているので、遺構は湮滅しているが、主郭裏の北西の尾根に小堀切があり、その先に物見台らしい一段高くなった曲輪が残っている。明確な遺構としてはこの程度で、城があったことは間違いないが、遺構は物足りない。それよりも神社宝物館の国宝鎧等の方が、よほど素晴らしい。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.782832/139.149517/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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