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尾崎城(青森県平川市) [古城めぐり(青森)]

DSC08478.JPG←本郭西側の切岸と堀跡
 尾崎城は、南部氏の家臣尾崎氏の居城である。歴史上の初見は南北朝時代の1339年で、大光寺城主曾我貞光の配下にあった尾崎城が、南朝方に攻められる尾崎合戦があったことが知られている。その後、尾崎氏が居城し、室町時代には浪岡城主北畠氏に属した。戦国後期の永禄年間(1558~69年)には、尾崎三郎衛門・喜蔵が城主で、南部氏の傘下で大光寺城主滝本重行に属していたが、大光寺城が大浦城主大浦(津軽)為信に攻め落とされると津軽氏に臣従した。1600年の関ヶ原合戦の時、津軽為信は徳川家康に従って出陣しており、その留守中に尾崎喜蔵は叛乱を起こした。一時は堀越城を占拠するものの、今信則に攻められて討死した。以後、尾崎城は廃城となった。
 尾崎城は、周囲より5m程高い微高地に築かれた平城で、大館とも呼ばれる本郭と、北館とも呼ばれる外郭などから成る。現在は宅地化が進み、遺構の湮滅が進んでいるが、本郭の西側や東側にはしっかりした切岸と堀跡が残っている。しかし曲輪の形状が明確に確認できるのは本郭だけで、外郭は宅地化でほとんどその形状を追うことができない。本郭の遺構だけでも、このまま大切に残してもらいたいものである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/40.587388/140.612909/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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