So-net無料ブログ作成

松代城(長野県長野市) [古城めぐり(長野)]

DSC06058.JPG←二ノ丸土塁上から見た松代城
背後の山は鞍骨城天城城

 松代城は、その前身を海津城と言い、甲斐武田氏が新造した城である。信濃に侵攻した武田信玄は、北信の雄村上義清を追い払い、川中島に進出した。一方、村上氏を始め北信の土豪は越後の長尾景虎(後の上杉謙信)に助力を求め、以後川中島地域が甲斐武田氏と越後上杉氏との接壌地帯となり、甲越両軍の重武装地帯に変貌した。この中で、川中島制圧の前進基地として、新たに海津城が築城された。「甲陽軍鑑」によれば、山本勘助の縄張りに成るとされるが確証はない。その築城時期も必ずしも明確ではないが、1560年頃には普請が完了したと考えられている。以後、武田四天王の一人、高坂昌信が海津城将となり、激戦となった1561年の第4次川中島合戦でも、海津城は重要な拠点となった。1582年に武田氏が滅亡すると、織田信長の家臣森長可が海津城に入ったが、間もなく信長が本能寺で横死すると、上杉景勝が北信4郡を制圧して村上義清の子景国を城将とした。以後、上条氏・須田氏が城将を務め、上杉氏が会津に転封となると、豊臣秀吉の蔵入地となって、田丸直昌が海津城に入った。1600年の関ヶ原合戦後、徳川家康は森忠政を海津城に置いた。その後、数人の城主の変遷を経て、1622年、真田信之が入部し、3代藩主幸道の時に「松代城」と改称されて幕末まで存続した。

 松代城は、元々は古千曲川を天然の外堀とした環郭式の平城であった。しかし度々水害を受けたため、江戸時代中期に幕府から1万両を借りて現在の川筋に改め、旧河床を堀に仕立て直している。明治維新以降、本丸以外はかなり破壊を受けたらしいが、現在は国指定史跡となって概ね二ノ丸の範囲までが復元整備されている。外周の土塁や外堀が完全ではないものの復元され、往時の姿を現している。また本丸南大手に当たる太鼓門は、内枡形に櫓門と橋が復元されている。この枡形は、普通近世城郭で見られる直交型ではなく筋違い型で、やや防御力が弱い形式である。一方、北搦手に当たる北不明門は、直交型の出枡形で、やはり櫓門などが復元されている。この様に復元整備は進んでいるが、二ノ丸南正面にかつてあった丸馬出と三日月堀は湮滅したままであり、武田氏の築城術の特徴を見ることはできない。今後、更に復元整備が進むことを期待したい。尚、松代城に寄るのは全くの予定外であったが、清滝城登山とそこからの一気下山で予想以上に体力を消耗し、足がヘロヘロになってしまった為、ちょっと一息入れる為、立ち寄った。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.565745/138.196045/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
nice!(4)  コメント(4) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 4

ノリパ

武田氏の築城術ですか。それがしはただ単に真田のお兄ちゃんのお城かあ、とウロウロしたくらいでした…
by ノリパ (2012-09-30 11:57) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
丸馬出・三日月堀といえば、
武田氏の城の代名詞なのですが、
現存例は結構少ないんですよね。
松代城では、是非発掘復元してもらいたいです。

北条と武田の城は、極めて特徴的かつ技巧的なので、
どの城を見ても面白いですよ。
by アテンザ23Z (2012-09-30 21:45) 

kochan

信州の城良いですね。やはりお勧めは晩秋なのですかね。
by kochan (2012-10-02 15:14) 

アテンザ23Z

>kochanさん
そうですねー。
秋の紅葉に染まった信州の城は、
味わい深いですね。
by アテンザ23Z (2012-10-03 18:38) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

メッセージを送る