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長浜城(滋賀県長浜市) [古城めぐり(滋賀)]

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(2005年2月訪城)
 長浜城は、織田信長の部将であった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が築いた水城である。元々は今浜城と呼ばれ、近江半国の守護であった婆娑羅大名、佐々木道誉が1336年に築城し、今浜氏が守備していたと言われている。1575年、織田信長は北近江の戦国大名浅井長政をその居城小谷城に攻め滅ぼし、小谷城攻めで功を挙げた羽柴秀吉に、浅井領の江北三郡を与えた。秀吉は当初小谷城に入ったが、城下町整備や経済発展に不利な山城を捨て、琵琶湖畔の水運の要地であった長浜に、古城を改修して新たに長浜城を築いた。この時、今浜の地名は秀吉によって長浜と改められた。秀吉は、この時初めて城持ち大名となった。1582年、信長は本能寺で横死し、清洲会議で織田家重臣4人が織田家跡継ぎと所領の処置を決めた際、柴田勝家に長浜城が与えられ、勝家は甥の柴田勝豊を長浜城主とした。同年冬、勝家が越前北の庄城で北国の雪に閉ざされている間に、秀吉は長浜城を攻め、勝豊は呆気無く秀吉に降った。翌年、秀吉が賤ヶ岳の戦いで勝家を滅ぼすと、秀吉の家臣山内一豊が長浜城主となった。関ヶ原合戦後の1606年、内藤信成が駿河から移封されて長浜城主となったが、1615年、子の信正の時に摂津に転封となり、長浜城は廃城となった。その後、彦根城築城の際に、建物・石垣などが移築転用された。

 長浜城は、琵琶湖畔に築かれた平城で、湖水を大々的に引き入れた、水面に浮かぶ水城であったらしい。しかし現在は、市街化・公園化で全て改変され、全くその名残を留めていない。昭和20年代の航空写真ですら、現在の地図にどう当てはまるのかわからないぐらい改変が進んでいるので、戦国時代の城の痕跡は望むべくもない。現在城跡は豊公園となっているが、全く創作の模擬天守が建っているだけで、明確な遺構はない。日本城郭大系には石塁の遺構の写真が掲載されているが、これも現在は残っていない。どのような縄張りの城であったのかも謎で、とにかくこれほど有名な城なのに、これほどその痕跡が残っていない城も珍しいであろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.377530/136.261218/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:近世水城
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コメント 2

ノリパ

確かに有名ですけど、何も残ってないんですよね。でも、長浜は城下町として、めっちゃ売り出してますよ。さすが近江商人、商魂たくましいですね。
by ノリパ (2012-06-18 21:04) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
現在では城下町というより、
大通寺の門前町という趣の方が合っているように思えますね。
by アテンザ23Z (2012-06-19 00:23) 

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