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難台山城(茨城県笠間市) [古城めぐり(茨城)]

DSC01171.JPG←山頂の主郭と土塁
 難台山城は、南北朝時代に小山若犬丸が立て籠って8ヶ月にも渡って籠城戦を繰り広げた山城である。若犬丸の父、小山義政に始まる一連の乱の経緯は、館岸城の項に記載する。この城を攻める為に付け城として館岸城を築いた上杉朝宗率いる幕府軍は、8ヶ月の攻城戦の末、若犬丸を支援する小田五郎を討ち取り、若犬丸は会津に逃れた。この合戦の結果、常陸南朝勢力は完全に壊滅した。その後の城の歴史は不明であるが、そのまま廃城となったのだろう。

 難台山城は、標高553m、比高503mもある峻険な難台山に築かれた山城で、実際の登頂比高でも423mもあり、私の歴代山城比高3位の記録である。団子石峠から尾根伝いに縦走するルートもあるが、途中の小田五郎碑を見るため、わざわざ東の山麓から登るルートを選択した。地図上では山中まで車道が伸びているように見えたが、林に入って間もなく道幅が細くなり舗装もない状態で、アテンザで登るのは危険と判断して延々と登ることとなった。苦労して山頂に近づくと、途中の尾根筋の観音平と言う所に段曲輪群が築かれている。ただ削平は甘く、曲輪内には岩塊がゴロゴロしており、前衛の砦としての機能以上のものはない。ここよりかなり下方にも段曲輪はあるようだ。これらの遺構から推測すると、登ったのはたぶん大手道に当たるのだろう。山頂部には主郭があり、数段の腰曲輪で防御されている。但し規模は小さく、西側に土塁が設けられているほかは、北東の尾根筋に重点的に腰曲輪と堀切が構築されているだけで、目立った防御構造は見られない。これは比高と峻険さが最大の武器だったからであろう。いずれにしても、若犬丸が急遽築造した城だったと考えられるため、普請は小規模である。それでも8ヶ月も籠城戦を続けられたのは、真壁氏による後方支援もさることながら、やはり難台山の峻険さを物語っているのであろう。比高も大きく傾斜も急で、久しぶりにすごく疲れた山城だった。これでは確かに幕府軍も攻めきれないだろうと身に染みて感じた。

 尚、小田五郎碑は、登山道が途中車道と合流した場所で右側に数百m歩いて行くと、左手の高台に建っている。
小田五郎碑→DSC01131.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.30457,140.222472&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世山城
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