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松任城(石川県白山市) [古城めぐり(石川)]

IMG_5760.JPG←公園に残る土塁らしき跡
(2004年8月訪城)
 松任城は、白山市の松任市街地にあった平城である。その起源には2説あり、1176年頃に国司加賀介師高が松任に居館を築いたとも(現地解説板による)、鎌倉時代初期に富樫氏の庶流松任十郎範光が築いたとも言われている(日本城郭大系による)が、定かではない。松任城がはっきりと歴史に現れてくるのは室町中期以降で、1488年に加賀守護富樫政親を滅ぼした加賀一向一揆の一人鏑木氏が、松任城に拠っていたと言う。戦国後期に越後の上杉謙信が能登・加賀に侵攻し、織田信長方の総大将柴田勝家と手取川で戦った折には(1577年)、七尾城を発して一路南下した謙信は、松任城に入って軍勢を整え戦機を待ったと言われている。その後、越後に戻った謙信が急死してその脅威が去ると、再び加賀・能登・越中に織田勢が侵攻し、その際松任城も1580年に柴田勝家に攻められて落城した。その後、1583年に前田利長が豊臣秀吉から松任4万石に封じられ、約2年間在城した。その後、秀吉の直轄期間を経て、1585年には丹羽五郎左衛門長重が城主となり、11年間在城した。1600年の関ヶ原の戦いの後には、戦功により再び前田利長が松任城を与えられ、赤座備後守直保が城代を務めた。その後、元和の一国一城令で廃城になったと思われる。

 松任城は、かつては上杉謙信の率いる大軍を迎え入れた程の規模の城であった様だが、街中の平城の運命に逆らえず、その遺構はほぼ完全に湮滅している。本丸跡は、現在のJR松任駅前のおかりや公園とされ、公園内には土塁跡と思われる土盛もあるが、公園化に伴う改変の可能性もあり遺構とは断定できない。本丸の周囲には二ノ丸・三ノ丸・出丸等があり、それぞれ堀で区画されていた様だが、今ではその痕跡を見出すことはできない。ただ街中をよく歩いてみると、住宅地の脇に「松任城址西南隅」等と書かれた、城域を示す小さな石柱が建っている。歩きまわって四隅の内3つは見つかったが、最後の一つが見つからなかった。いずれにしても、ここに城があったとは思えないほど変貌してしまった城跡である。

 尚、ごく最近、松任城址のおかりや公園は改装された様なので、現在の状況がどうなっているのかは不明である。
城域を示す石柱→IMG_5775.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E136.34.7.8N36.31.18.8&ZM=9
タグ:中世平城
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ねじまき鳥

最近整備されたそうですね。
by ねじまき鳥 (2011-05-02 23:31) 

アテンザ23Z

>ねじまき鳥さん
もともとほとんど遺構がなかったので、
どういう風に整備されたのか、ちょっと見てみたいですね。
by アテンザ23Z (2011-05-04 18:34) 

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