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駒寄要害山城(福島県南会津町) [古城めぐり(福島)]

DSC03831.JPG←土塁に囲まれた主郭
(2010年12月訪城)
 駒寄要害山城は、伊南郷の豪族河原田氏の詰城である。河原田氏と城の歴史については、駒寄城の項に記載する。山麓の居館(根古屋)である駒寄城に対して、要害山山上にある詰城に相当する。

 駒寄要害山城は、比高220m程の峻険な要害山上に築かれている。普通ならば、麓の駒寄城からの登城道が想定されるが、登り口がさっぱりわからず、仕方なく駒寄城の西に隣接する尾根筋に取り付いて直登した。尾根筋にも明確な道はなく、しかも訪城当日は積雪で足場が悪く、登城に苦労した。途中、ちょっとした平場や腰曲輪らしい地形を経由して、山上に至る。登りついた最初の曲輪が主郭の様で、城中で最大の面積を持ち、周囲を土塁で防御し、背後に櫓台らしい土壇を挟んで堀切を設けて防御するなど、最も防備が固い。この主郭は先端が三角形状に鋭角に尖っている。背後の堀切は深さ2m程のささやかな規模のものである。その先の尾根にはニノ郭と思えわれる狭い尾根筋に沿った曲輪が段々に並び、その先にもう1本の小堀切がある。主郭周囲には帯曲輪が設けられているが、面積は狭く、ほとんど兵を置くことはできない。主郭西側の尾根筋には段曲輪群があるが、それほど明確ではなく、その先の構造も崩落地形なのか何なのか、今一つわかりにくい。

 以上の様な感じで、まともに居住性があるのは主郭のみで、あくまで臨時の詰城という位置付けである。伊達政宗の奥会津侵攻を目前にした河原田盛次が、要害地形ながらも狭小な駒寄要害山城を捨てて、峻険さでは劣るものの広くて大兵力を置くことができ、居住性も十分な久川城に拠って抵抗したのは、事実久川城で伊達勢撃退に成功したことを考えると卓見であった様である。
主郭背後の堀切→DSC03844.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.31.47.8N37.9.49.4&ZM=9
     http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370959&l=1393139
タグ:中世山城
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