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今治城(愛媛県今治市) [古城めぐり(愛媛)]

DSC00950.JPG←内堀にそびえる本丸石垣
 今治城は、築城の名手として知られた藤堂高虎によって築かれた平城で、日本三大水城に数えられる。元々戦国時代の今治地方の支配拠点は、唐子山山頂にあった伊予の土豪河野氏の支城国分山城であったが、関ヶ原合戦後に伊予半国20万石を与えられて今治に入部した藤堂高虎が、新たに今張浦に新城を築いた。今治の海を臨む平地を城地に選んだのは、そこが水陸交通の要地であったばかりでなく、瀬戸内海制海権の確保を狙ったものだったからであろう。高虎は今治城在城8年にして伊勢に転封となり、その後は高虎の養子の藤堂高吉が2万石で27年間在城した。1635年に家康の甥の松平定房が3万石で入封し、以後今治松平家の居城として幕末まで存続した。

 藤堂高虎によって築かれた今治城は、水城(海城)と言う珍しい城であるほかに、もう一つ城郭史に残る経歴を持つ。新型の層塔型天守が始めて築かれたとされているのである。それ以前の天守は望楼型と呼ばれ、内部構造が複雑で、強度的にもやや弱いものであったが、高虎が創始した層塔型天守はそうした欠点を克服した新時代の天守であった。以後の近世城郭には相次いで層塔型天守が採用され、江戸城名古屋城を始めとする巨大城郭の大天守など、各地の城に築かれることとなった。しかし今治城の天守は、伝承によれば丹波亀山城に移築されたと言われ、僅か4年間しか存在せず、その後築かれる事はなかった。但し、天守は最初からなかったとする説もある。

 現在残る今治城は、広大な水堀(内堀)に囲まれ石垣で全周を防備した本丸・二ノ丸部分である。周りから見ると、海原に浮かぶ要塞の如き威容を誇っている。しかも模擬天守とは言うものの5層の天守は非常に見栄えがして、視界に始めて入ってきた時には思わず声が出てしまうほどであった。伝承の通り天守が丹波亀山城に移築されたものであったとすると、今治城天守は飾り破風を持たない無粋なものであったはずだが、昭和55年に再建された天守は千鳥破風を持った意匠を凝らしたものに仕立て上げられている。この点は史実と異なるので注意を要する。天守以外では3つの隅櫓と鉄御門が再建されている。石垣は往時の遺構がほとんどであると思われるが、一部は積み直しも行われているらしい。二ノ丸より一段高くなった本丸には吹揚神社が鎮座している。内堀外周の曲輪は市街化で湮滅しており、今では見る影もないが、一部には外堀跡が残っているようだ。しかし今回は時間の都合で、外郭には行かなかった。内堀にそびえる高虎が築いた石垣は、反りを持たず直線的な傾斜を持っていて、目を見張るような美しさには欠けるが、これはこれで重厚感がある。平城なので縄張りの面白みには欠けるが、石垣と復元櫓・天守の見栄えのする城である。
天守から望む二ノ丸と瀬戸内海→DSC00913.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E133.0.34.1N34.3.36.5&ZM=9
タグ:近世水城
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コメント 2

ノリパ

高虎さんのお城は好きです。それがしも、また行きたいです、
四国に。
by ノリパ (2010-07-18 22:07) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
私は、藤堂高虎の城は、この城が初体験です。なかなか見事な石垣ですね。
by アテンザ23Z (2010-07-19 16:45) 

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