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小黒丸城(福井県福井市) [古城めぐり(福井)]

IMG_4496.JPG←小黒丸城の城址碑
(2004年4月訪城)
 小黒丸城は、単に黒丸城と呼ばれることもあるが、南北朝動乱の初期に北朝方の越前守護斯波高経と南朝方の総帥新田義貞の間で繰り広げられた「足羽七城」の戦いの舞台の一つである。1336年、叡山から北陸に落ち延びたものの、最初の拠点金ヶ崎城を陥とされた義貞は、弟脇屋義助と共に杣山城に逃れ、しばらく雌伏した後、福井平野で体勢を立て直して反撃を開始した。この激しい攻防戦が太平記に名高い足羽七城の戦いである。中でも黒丸城は、足羽七城の中心的な城で、本城である大黒丸城と出城である小黒丸城から成っていた。1338年閏7月、義貞は平泉寺宗徒の立て籠もった藤島城に苦戦する味方の加勢の為、少数の兵を率いて行軍の最中、小黒丸城を発した斯波勢と灯明寺畷で遭遇し合戦となった。この局地戦のさ中、義貞は矢に当たってあっけない最期を遂げてしまった。その為、義貞の手勢は一旦は四散したが、弟の脇屋義助が体勢を立て直し、1339年、三方より攻撃を加えて小黒丸城を陥とし、高経を加賀に追い落とすことに成功した。しかし後に再び逼塞を余儀なくされ、結局義助は越前を放棄して美濃を経由して吉野に戻り、最後は四国の伊予国府で終焉を迎えることとなった。

 小黒丸城は、九頭竜川と日野川の合流点にあり、唯一開けた東南は深田となっていて、平城ながら非常に堅固な城であったと伝えられている。しかし現在は圃場整備によって遺構は完全に湮滅し、往時の姿を知ることはできない。また現在ある城址碑も、元は現在地より北方約50mの水田の台地上に建てられていたものを現在の位置に移転したとのことである。遺構は無いが、太平記ファンならば行かねばならない城の一つである。今思い返せば、私はこの城あたりから本格的に中世城郭巡りを始めたのであった・・・。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E136.11.33.9N36.6.2.2&ZM=9
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