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井出の沢古戦場(東京都町田市) [その他の史跡巡り]

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 井出の沢古戦場は、南北朝時代に発生した中先代の乱の古戦場である。

 1333年に足利高氏(尊氏)は丹波篠村で倒幕の兵を挙げて京都六波羅を攻略し、ほぼ時を同じくして関東では上野より新田義貞が挙兵して武蔵野を席巻し鎌倉を攻略した。得宗北条高時以下、執権北条氏一門は滅亡し、ここに後醍醐天皇による建武の新政が始まることとなった。しかし新政では所領の処置などで失策が相次ぎ、また公家一統を目指したことで武家を軽んじた為に、諸国の武家の不満が高じることとなった。こうした中の1335年6月、北条高時の弟泰家が、かつて関東申次を務めて北条家と関係が深く、建武の新政下では逼塞を余儀なくされていた公家の西園寺公宗の屋敷に匿われて謀反を企てるという事件が発生した。謀反の企ては事前に露見し、公宗は捕縛され誅殺されたものの泰家は信濃に逃れて、同年7月に高時の遺児時行を擁して大規模な反乱の兵を挙げた。これが中先代の乱である。

 挙兵した北条家残党は鎌倉奪還を目指して瞬く間に関東を席巻した。鎌倉府を預かる執権足利直義(尊氏の弟)は軍勢を差し向けたが、女影原では岩松経家や渋川義季(直義の妻の兄)が戦死。府中では、下野の名族小山秀朝が一族家人数百人と共に討死するという事態に陥った。そして直義が自ら軍勢を率いて時行勢を迎え撃ったのが、井出の沢である。しかし激戦の末ここでも足利勢は敗れ、直義は鎌倉府の主の成良親王を京都に逃げ延びさせ、自身は兄尊氏の妻登子と嫡男千寿王(後の義詮)と共に三河まで落ち延びていった。ただ一つ、幽閉されていた護良親王の殺害を家臣の淵辺義博に命じることを忘れずに・・・。しかしこの逃避行も困難を極め、直義は多くの一族を失いながら矢作に辿り着いた。

 この後、時行勢は鎌倉を占領したが、後醍醐天皇の聴許を待たずに東下した足利尊氏率いる足利勢は、三河矢作宿で直義と合流すると、遠江の橋本の戦いを皮切りに、佐夜の中山、駿河の高橋縄手、箱根山、相模川、片瀬川、鎌倉口と東海道7つの要害戦を一度も落とさず進撃し、たちどころに時行勢を追い散らして鎌倉を取り戻した。時行が鎌倉を保つこと20日余り。故に中先代の乱は二十日先代の乱とも呼ばれる。この乱は終結したものの尊氏の新政からの離反を引き起こすこととなり、歴史が南北朝の動乱に突き進んでいく画期となった。

 私は以前、新田義貞が駆け抜けた鎌倉街道に沿って古戦場巡りをしたが、時間切れで井出の沢まで達することができなかった。今回、城を巡って近くまで来たので、念願の井出の沢にようやく訪れることができた。井出の沢は、現在の町田市中心部に近い菅原神社境内に石碑が建っている。この地は現在でも鎌倉街道のすぐ横にあり、かつては鎌倉を往還する要地であったことがわかる。特に府中から井出の沢までの間は起伏重畳な多摩丘陵が広がる一方、ここを越えさえすれば鎌倉までは何らの障壁も無い平坦地が広がり、鎌倉防御の為の絶対防衛線であった。現在は市街化によりかつての面影は皆無であるが、直義がかつて戦った地に立った時、胸の中に熱いものが流れるのを禁じえなかった。

 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.27.3.1N35.33.20.5&ZM=9
タグ:古戦場
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fuzzy

今、北条氏照を主人公とした伊東潤氏「戦国関東血風録」を読み始めたところです、後北条氏の隆盛に陰りが見え出した頃からの作品です、食いつきは面白そうです。
by fuzzy (2010-03-30 15:49) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
いろいろな歴史小説を読まれていますね。
北条氏照を主人公にした小説があるとは思いませんでした。
今度本屋さんで探してみます。
by アテンザ23Z (2010-03-31 12:15) 

伊東潤

横レスすいません。
伊東潤です。
エゴサーチで見つけました。

fuzzy様
拙著をご購読いただきありがとうございます。
デビュー作なので、文章表現が下手で申し訳ありません。
同じ群像劇なら「武田家滅亡」(文庫版)がオススメです。
とりあえず、少しはうまくなっています(笑)。

アテンザ23Z様
「戦国関東血風録」はすでに絶版となってしまいました。
この群像劇を氏照単一視点に変えて書いたものが、「北条氏照 秀吉に挑んだ義将」(PHP研究所)になります。
要するに絶版の再生という感じですね。
そちらをぜひお読み下さい。

私も中世古城ファンで、しょっちゅう山城に行っています。
もしかして知り合いだったりして(笑)。
これからもブログを読ませていただきます。
私のホームページとブログはこちらです。
http://quasar.ne.jp/CCP026.html
今後ともよろしくお願いいたします。

by 伊東潤 (2010-04-05 05:01) 

アテンザ23Z

>伊藤さん
作者ご自身のご訪問恐れ入ります。(汗)
「北条氏照」、是非読んでみたいと思います。
また同じ中世城郭ファンとのこと、
今後いろいろと情報交換させていただければと思います。
まだまだ城歩き初心者ですが、
よろしくお願い致します。
by アテンザ23Z (2010-04-05 18:11) 

wakuwaku

作家先生が見てられるブログに、コメントを書くのは恐れ入ります。

井出の沢古戦場、私も行ってきました。てっきり鎌倉井戸で休息を取ったあと、義貞はこの井出の沢で、この辺の豪族と戦かって、勢力を拡大して鎌倉に臨んだんだと思っていました。
鎌倉幕府滅亡から二年後の直義と北条時行の戦いであったのですね。

この古戦場も、碑がなければ、全くわかりませんね。菅原神社は新しくなっていました。


by wakuwaku (2013-07-21 18:09) 

アテンザ23Z

>wakuwakuさん
井出の沢は鎌倉街道の通る交通の要地ですので、義貞の鎌倉攻めの際にも、小さな局地戦ぐらいはあったかもしれませんね。
南北朝の動乱では、同じ場所で度々戦いが行われている例が多いので、井出の沢にもその可能性はあると思います。

公園の眼下は、車の交通量が多く喧騒の市街地となっていますが、ここだけ別の時間が流れているようで、印象に残っています。
by アテンザ23Z (2013-07-21 21:38) 

鈴木三郎

町田市の古戦場は「井手の沢」だと思います。
by 鈴木三郎 (2017-01-19 18:59) 

アテンザ23Z

>鈴木三郎さん
コメントいただきありがとうございます。ご指摘の通り、現地の石碑には「井手の沢」とありますが、『梅松論』などの史書・文献には「井出の沢」とあるので、ここでは「井出の沢」の呼称を採用しています。
by アテンザ23Z (2017-01-19 23:17) 

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