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富山城(富山県富山市) [古城めぐり(富山)]

IMG_3836.JPG
(2003年10月訪城)
 富山城は、越中中央部に築かれた平城で、この地は古くから北陸街道と飛騨街道の交わる交通の要衝であった。1543年頃に神保長職が築城したと伝えられている。但し、この時の富山城はもっと南に築かれていたとの説もある。以後、神保氏の居城となったが、上杉謙信の越中侵攻が始まると富山城も落とされて、上杉氏の属城となった。しかし謙信が1578年に急死すると、織田信長の勢力が越中に伸び、越前小丸城主の佐々成政が富山に入封し、1582年に富山城に入城した。信長が本能寺で倒れ豊臣秀吉が後継争いに打ち勝つと、成政は秀吉と対立したが秀吉に攻められて軍門に降り、越中を去った。その後、加賀の前田氏に越中が与えられ、隠居した前田利長が一時期富山城に居城したこともあった。江戸時代に入って幕藩体制が固まった後、1639年に加賀の大大名前田利常は、次男利次に富山10万石を与えて分家させた(富山藩)。利次は廃城になっていた富山城を修復し、以後富山前田氏歴代の居城となって幕末まで存続した。

 富山城は現在城址公園となり、石垣の上には模擬天守が建っている。現在はほぼ長方形に近い曲輪形状であるが、エリアとしては往時の本丸と西出丸に相当し、その間にあった水堀は現在は埋められてしまっている。また本丸南には二ノ丸が、東には東出丸が、さらにそれを取り囲んで三ノ丸があったが、現在は市街化で破壊されまったく旧状を留めていない。城址公園には本丸や西出丸周囲の石垣や水堀が残っているが、旧状を留めているのはほとんど南面で、それ以外はかなり改変されてしまっているようだ。そのため、往時の城の雰囲気が全体にかなり希薄になってしまっているのは残念である。

 おまけに私がこの城に行った時は天守の修理が行われていた為、周囲が立入り禁止になっていて、石垣などを詳細に見ることができない部分が多かった。その後さらに整備も進んでいるようなので、いずれまた再訪してみたい。それにしても今から見ると、この当時はまだ城巡り駆け出しの頃だったので、結構写真撮ってない遺構が多いみたいだなぁ・・・。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E137.12.49.9N36.41.24.4&ZM=9
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fuzzy

最近各地で城の修復が始められているようです、龍馬のお膝元高知や河村市長の名古屋など文化遺産の保守と観光客誘致に自治体も積極的に取り組みとても善い傾向です、景気は良くないので公共工事や観光に、お足が動くと景気回復に貢献しますね。
by fuzzy (2010-01-16 13:05) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
かつては史実とは無関係に天守が作られたりしていましたが、
最近はちゃんと考古学的検証に基づいて再建されているので、
城好きにとっては非常にうれしいことですね。
by アテンザ23Z (2010-01-18 21:05) 

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