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鳴海城(愛知県名古屋市) [古城めぐり(愛知)]

DSC02222.JPG←本丸南端の土塁らしき跡
 鳴海城は根古屋城とも言い、1394年に安原宗範が築いた崖端城である。鳴海城が築かれた地域は、尾張・三河両国の接壌地帯で地形の起伏も多く、多くの城塞が築かれた。戦国時代には織田信長の父信秀が修築して山口教継を守将としたが、信秀が死にウツケという評判の高かった信長が後を継ぐと、教継は今川義元の誘いを受けて離反した。後、義元に殺されたが、これは信長の謀略によるとされる。その後、義元は勇将岡部元信をこの城に入れて織田氏に備えた。今川方にとっては尾張侵攻の重要な橋頭堡であり、桶狭間合戦の際は大高城と共に今川方の最前線となった。信長はこの城の周囲に丹下・善照寺中島の3砦を築いて対抗した。義元が討たれた後も元信は最後まで立て籠もって奮戦し、義元の首を引き取ってからようやく開城したと言う。合戦後は佐久間信盛、正勝らが城主となったが、1590年に廃城となった。

 鳴海城は扇川に臨む急崖の上に築かれていて、その地勢は今でもはっきりと見ることができる。しかし城跡は現在ほぼ完全に市街化で埋没し、わずかに本丸跡が城址公園となっているが、ほとんど遺構らしいものは残っていない。わずかに周囲の道の脇にかつての土塁の名残らしいものが認められるだけである。また公園の西側には藪があるので遺構が残っている可能性が高いが、フェンスで囲まれていて中に入って確認することができない。国土変遷アーカイブの昭和20年代の写真を見ると、本丸と二ノ丸の間に明確な空堀が残っていたことがわかるが、これが公園の東側の道路に相当するようだ。二ノ丸は住宅地や県道になって破壊されているが、その東端に当たると思われる場所に天神社が建っていて、そこに城址碑と小さな解説板が立っている。天神社の東側は道路の形状からして堀跡であったことは間違いない。もう少し堀などの遺構が明確に残っていればと惜しまれるが、駅にも近い都市部なので仕方のないところなのだろう。

 なお、私は岡部元信の事跡についてこの城で初めて詳しく知ったが、その出処進退の見事さには感心した。
本丸北側の切岸と堀跡→DSC02229.JPG
DSC02233.JPG←公園東側の堀跡の道路

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E136.57.11.2N35.4.41.7&ZM=9
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