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鷲津砦(愛知県名古屋市) [古城めぐり(愛知)]

DSC02201.JPG←腰曲輪と土塁
 鷲津砦は、織田信長が築いた砦群の一つである。信長は、今川義元によって奪われた大高城を包囲し、今川勢の尾張侵攻を阻止する目的で、1559年に丸根砦などと共にこの砦を築いた。翌1560年の桶狭間の合戦の際には、織田方の部将飯尾定宗らが守るが、今川方の朝比奈泰能に攻められて、砦に籠る織田勢は全滅した。しかしこうした戦果に気が緩んだのか義元の軍勢は統率が乱れ、丘陵地の狭間を縦列行軍する愚を犯し、側面を織田勢の奇襲によって突かれて軍勢が分断、東海道随一の有力大名が討ち死にする悲劇となった。

 地勢については丸根砦の項で書いたので、そちらを参照されたい。

 鷲津砦は丸根砦より規模が大きく、約800mの至近の位置で対峙する大高城に対抗するために築かれたことがよくわかる。住宅地脇の鷲津砦公園から林の中に入っていくと、腰曲輪や横堀・土塁らしい地形が良好に残っている。しかし砦の境界は明確でなく、往時にどれほどの規模であったのかはよくわからないが、明らかに丸根砦よりは大きいので、100近い兵は籠められたかもしれない。側面を防御する丸根砦と連携して大高城と対峙していたと考えられる。

 それにしても鷲津砦のすぐ真横を東海道新幹線の高架が通っているのである。新幹線のすぐ横にこんな遺構が残っているとはビックリである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E136.56.42.9N35.3.57.3&ZM=9
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fuzzy

この時期の織田家臣団は極めて少ないので、砦単位なら極少数の兵力しか要して無かったでしょう。今川家にとってはなんら問題ない程度の障害にかえって慢心・油断を起こさせたでしょうね、これが桶狭間に繋がってしまうのが面白いです。
by fuzzy (2010-01-10 18:48) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
確かにこの頃はまだ家臣団を掌握しきれていなかったので、
信頼できる軍団の数は多くはなかったでしょう。
相手に対して多すぎる兵数がかえって油断を招いて、
思わぬ敗北に繋がることは、歴史上決して少なくないですね。
by アテンザ23Z (2010-01-11 04:14) 

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