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丸根砦(愛知県名古屋市) [古城めぐり(愛知)]

DSC02173.JPG←外堀跡の切通し道
 丸根砦は、織田信長が築いた砦群の一つである。信長は、今川義元によって奪われた大高城を包囲し、今川勢の尾張侵攻を阻止する目的で、1559年に鷲津砦などと共にこの砦を築いた。翌1560年の桶狭間の合戦の際には、織田方の部将佐久間盛重がこの砦に立て籠もって大高城を包囲したが、大高城への兵糧運び入れを成功させた松平元康(後の徳川家康)が鉄砲を用いて攻撃に転じ、砦に籠る織田勢は全滅し砦も陥落した。しかしこうした戦果に気が緩んだのか義元の軍勢は統率が乱れ、丘陵地の狭間を縦列行軍する愚を犯し、側面を織田勢の奇襲によって突かれて軍勢が分断、東海道随一の有力大名が討ち死にする悲劇となった。

 名古屋から電車で向かうとよくわかるが、丸根砦が築かれた一帯は、三河から東海道を尾張方面に向かうと現れる、起伏に富んだ唯一の丘陵地で、ここを越えれば後は名古屋中心部まで一望千里の平坦地となる。従って信長からすれば今川勢を迎え撃つのはこの地域しかありえず、ここを突破されれば後は清洲城まで何らの防波堤も持たない、絶対死守の最終防衛線であった。その地の一角を占める大高城を今川方に奪われたのは信長にとっては致命的であり、従って、大高城の動きを封じつつ丘陵地を越えて進撃してくる今川勢を何としても食い止めるためにこの地に砦を築く必要性があったことは、その地勢を見れば容易に想像がつく。

 そうした使命を負った丸根砦は、丘陵地の先端、大高城から直線でわずか800mの至近の地に築かれた。しかしあまりに規模が小さく、今川の大軍を迎え撃つ防波堤の役目を負うことはできなかったであろう。兵を目一杯籠めたとしてもせいぜい数十人という規模である。ほとんど円墳のような丸い小山で、主郭の周囲にはいくつかの腰曲輪が見られる。外周は幅3.6mの外堀で囲まれていたというが、現在は道路と化し、わずかに切通しのような部分だけが堀の形を留めている。鷲津砦は丸根砦より規模が大きいので、おそらくは鷲津砦と連携しつつこれを側面から防御する役目を負っていたものと考えられる。

 周辺は完全に市街化しているが、砦のあった小山だけ時間が取り残されているかのようだ。こんな小さな砦でも、命を投げ出して戦い散っていった武者達がいたのである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E136.56.54.7N35.3.39.6&ZM=9
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コメント 4

fuzzy

織田信長が戦国歴史舞台に躍り出た桶狭間ですね。義元の首を獲った毛利新介・服部小兵太を主人公にした中村彰彦氏の「桶狭間の勇士」面白いですよ。
by fuzzy (2010-01-09 12:36) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
桶狭間は日本の歴史の転機になりましたね。
あそこで織田軍が壊滅していたら、
歴史の行方はだいぶ違うものになったんでしょう。
by アテンザ23Z (2010-01-09 20:27) 

ノリパ

そうなんだ。濃尾平野の防御拠点なんですね。地図を見ながら回らない
といかんですね。ここも日本の転回点の地の一つですね。
by ノリパ (2010-01-16 18:27) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
実際に行くとこの辺りの地形が
濃尾平野の防御の要であったことが良くわかります。
やっぱり百聞は一見に如かずです。
by アテンザ23Z (2010-01-18 19:58) 

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