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源範頼館(埼玉県吉見町) [古城めぐり(埼玉)]

DSC00624.JPG←息障院北側の水堀跡
 源範頼館は、源頼朝の庶弟範頼の居館跡である。往時は吉見の御所と呼ばれたと言う。源範頼は兄頼朝が挙兵するとこれに参加し、以後、木曽義仲追討や平家追討の大将として義経に並ぶ重要な役割を果たした。しかし平家が滅ぶと、猜疑心の強い頼朝から謀反の嫌疑を掛けられ、1193年に伊豆に幽閉され、最後は誅殺されたと言う。範頼没後はその子範円、為頼、義春、義世の5代の歴代の居館となり、範円以降は吉見氏を称したとも伝えられているがはっきりしたことは不明のようである。
 源範頼館は現在の息障院がある一帯とされるが、明確な根拠は乏しく、異説もある。ただ息障院境内周囲には堀の跡が残っており、何らかの施設があったことは間違いないようである。果たしてそれが本当に源範頼の居館であったのかどうか?私見で言わせていただけば、源氏の有力者の居館にしては遺構の規模がやや貧弱に思える。ただ生涯の最盛期をほとんど従軍で過ごし、その後は兄頼朝や北条氏から厳しい監視の目を受けていたことから考えると、このような小規模な居館であったことも、あながちありえない事ではなかったかも知れない。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.27.5.8N36.2.45.4&ZM=9
タグ:居館
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fuzzy

蒲冠者範頼は、一般的には凡庸な武将とされ、平家追討の総大将でありながら、義経の影に隠れクローズアップされることなく、さらに頼朝に嫌疑を掛けられ伊豆修善寺で幽閉後自刃したとされています、不遇な武将だったようです、吉見に逃れ隠れ住んだ説もありますが眉唾かな。しかし頼朝の考えなのか、北条氏からの圧力なのか、兄弟を悉く葬るとは、頼朝=冷血のイメージは拭えませんね。

by fuzzy (2009-10-27 15:03) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
源範頼は源平盛衰記や平家物語で、義経の引立て役として語られてしまっている為、凡将扱いになっているようですね。確かに義経の用兵家としての天才的才能と較べれば、フツーの人になってしまうのかもしれません。兄頼朝に忠実に働いていたのに、悲惨な最期を遂げたのはかわいそうでなりません。頼朝にもう少し広い度量があれば、北条氏の台頭は防げたかもしれません。
by アテンザ23Z (2009-10-27 21:48) 

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