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飛勢城(岩手県北上市) [古城めぐり(岩手)]

DSC09777.JPG←横掘跡
 飛勢城は、二子城とも言い、和賀氏の本城である。和賀氏の出自には諸説ありはっきりしないが、武蔵七党の内の横山党に属する中条氏から分かれたものの様である。鎌倉時代には和賀郡に入部していたようで、苅田系和賀氏の弟小田島氏が姓を和賀と改め、飛勢城を本拠としていた。兄の刈田系和賀氏は、黒岩の岩崎城を本拠とし、やはり和賀氏を称し和賀郡半の惣領地頭であった。南北朝期に入ると、多くの武家に見られるように、和賀氏も一族内で北朝方、南朝方に分かれて相争うこととなった。小田島系和賀氏は南朝に付いた為、次第に勢力を失い、黒岩和賀氏は庶流の鬼柳氏と協力して北朝方で活躍し、1400年から飛勢城に移って、和賀郡一円を支配する和賀氏の本城として確立されていったようである。室町時代には、一族間の抗争やそれに乗じた大崎氏、南部氏の侵攻に大いに悩まされたが、それでも奥州の大名として、奥州探題大崎氏の御所に集まれば、上席の地位を占める名門として遇された。しかし豊臣秀吉の小田原の役に参陣しなかった為、戦後改易されて没落し、城も廃城となった。

 飛勢城は北上川右岸の丘陵上に築かれた平山城で、城主の平時の居館は白鳥館と言い、北上川沿いの平地に置かれていた。飛勢城自体はその詰城に当たるが、比高は50m程しかなく、それほど要害性が高いとは思われない。本郭は公園化されているため、若干の改変を受けていると思われるが、そこそこの広さを持っている。本郭北には堀切・土塁を挟んで段曲輪が2段ほど続き、本郭東側には数段の狭い帯曲輪、西側には横堀が築かれている。しかし、全体に縄張はシンプルである。それ以外には、道を挟んで西の山上には物見が設けられ、平地の居館周辺には家臣団の屋敷が並んでいたようである。屋敷地跡にも堀跡などが残存するようだが、この日は時間がなく見て周ることはできなかった。

 横堀は見事だが、やや面白みに欠ける縄張と感じられた。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E141.8.30.8N39.19.44.6&ZM=9

※その後の居館地域などの再訪はこちら
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