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金ヶ崎城(福井県敦賀市) [古城めぐり(福井)]

IMG_3693.JPG←金ヶ崎城の断崖
(2003年9月訪城)
 金ヶ崎城は、敦賀湾に望む断崖上の岬に築かれた山城である。この城は2度にわたる歴史上名高い戦場として知られる。
 一つは、南北朝動乱の初期の1336年。足利尊氏と和睦した後醍醐天皇は叡山を下って京に戻ったが、一方で左中将新田義貞に二人の皇子、皇太子恒良、尊良親王を預けて北陸に下らせた。この時後醍醐天皇は恒良親王に帝位を譲ったという。足利方の目をかいくぐって、苦労して敦賀に入って気比氏に迎えられた義貞は、難攻不落の堅城金ヶ崎城に拠った。一方、足利方はこれにすばやく対応し、斯波高経に金ヶ崎城を攻めさせた。しかし城は頑として落ちず、年が明けると尊氏は執事高師直の弟、師泰らを総大将とした援軍を派遣して激しく攻め立てさせた。そして半年の過酷な籠城戦の末、1337年3月に金ヶ崎城は落ち、新田義貞は辛くも杣山城に落ち延びたものの、嫡子義顕と尊良親王は自刃、恒良親王は捕らえられて京に送られた。太平記によれば、落城寸前の時、城兵達は馬を殺してその肉を食い、戦死者の肉まで食うという地獄図絵さながらの状況だったと言う。
 もう一つは、戦国末期の1570年、越前の朝倉氏を攻める織田信長が金ヶ崎城に入った時、浅井長政が突如裏切って後方から攻め寄せようとした。これを知った信長は直ちに総退却を決断。この時部将木下藤吉郎が全軍の殿として退却戦を行った。いわゆる「金ヶ崎の引き口」である。

 金ヶ崎城は、麓には金ヶ崎宮が置かれ、そこから遊歩道が整備されている。三方を海に囲まれたほぼ垂直に近い断崖上に築かれており、現在でもその堅城ぶりがわかる。主郭を中心にいくつかの平坦地が見られ、曲輪跡であったのだろう。しかし公園化の中で改変を受けている可能性もあり、はっきりしない。最高所の主郭は月見御殿と呼ばれ、かつてはここで月見がされたと伝わっている。ここからは敦賀湾を一望でき、見晴らしは素晴らしくよい。主郭内は2段ほどに分かれていて、高い方は物見であったのだろう。主郭の東側に下っていくと、3つの木戸口跡が残り、それぞれ堀切で明確に分断防御している。また城内には、尊良親王自刃地や焼米石出土跡も残る。

 金ヶ崎城周辺は、港湾施設や火力発電所が建設されて往時の面影は全くない。また金ヶ崎宮は縁結びの神様として知られているらしい。かつての激戦は夢のようで、今ではゆったりと平和な時を刻んでいる風光明媚な古城である。
主郭(月見御殿)跡→IMG_3681.JPG
IMG_3690.JPG←ニノ木戸跡

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E136.4.36.5N35.39.48.1&ZM=9

※金ヶ崎城は、城巡りを目的として行った最初の城だった。
 ちなみにこの日は、金ヶ崎城のすぐ真横に、知る人ぞ知る深田サルベージの巨大サルベージ船「武蔵」が停泊していた。なかなかお目にかかることのできない貴重な船だ。
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ノリパ

ここが出発点なんですね。秀吉の逸話で有名なお城ですが、見たこと
ないです。というか、こんな断崖絶壁だったんですね。初めて知りました。
いつか行きたいです。
by ノリパ (2009-08-02 21:58) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
三方が断崖で囲まれた、文字通り難攻不落の城です。
私にとっては、秀吉の逸話の城というより、
新田義貞の籠もった城として脳裏に焼きついてます。
by アテンザ23Z (2009-08-03 22:01) 

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