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八ッ沼城(山形県朝日町) [古城めぐり(山形)]

DSC06442.JPG←東側の二重堀切
 八ッ沼城は、八ッ沼館または五百川城とも言う。村山地方と置賜地方を結ぶ交通上の要衝にあり、東方の鳥屋ヶ森城と相呼応して村山地方の防備に当たったと考えられる。南北朝期に南朝方の武将により築かれたとも、文明年間に原美濃守により築かれたとも伝えられ、その重要性から度々合戦の舞台となっている。最上義守は1565年に八ッ沼城と鳥屋ヶ森城を攻略し、南の伊達領に接する国境の城として領国防衛に当たらせた。また、奥州の関ヶ原と呼ばれる1600年の慶長出羽合戦の際には、直江山城守兼続を総大将とする上杉軍の内、鮎貝城を発した別働隊が八ッ沼城を攻撃して落城させて一旦は占拠したが、西軍の敗報を聞いて撤退した。
 八ッ沼城は、北西部を八ッ沼(春日沼とも言う)で守られた独立峰に築かれている。比高はそれほど高くなく、山自体も東西はなだらかな丘陵状であるが、南北は急斜面で守られており、そこそこの要害性を持っている。最頂部に本丸を置き、本丸の東西のなだらかな斜面にはいくつもの段曲輪・腰曲輪を築いて防御を固め、登城道も幾たびも屈曲して横矢が掛けられている。また東西とも段曲輪の先を堀切で分断防御しており、特に東側は二重堀切となっていてなかなか見応えがある。
 遺構が良く残っており、標柱も要所に立って道も整備されているので、手頃に行くことのできる城跡である。
旗立場(物見台)から本丸を見る→DSC06413.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=38.309267&lon=140.13079&z=16&did=std&crs=1
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