So-net無料ブログ作成

小倉城(埼玉県ときがわ町) [古城めぐり(埼玉)]

DSC02007.JPG←三ノ郭周辺の石垣
 小倉城は、嵐山渓谷の近く、槻川が山間部を蛇行しつつえぐり抜いた渓谷部を見下ろす山上に築かれた山城である。築城時期は定かではないが、小田原北条氏が武蔵を支配したとき、重臣の遠山右衛門大夫光景の居城であったと伝えられている。1590年の小田原の役の際、松山城などと共に落城したと言う。槻川はここから渓谷を抜けてほぼ真東に流れ、その先の左岸には菅谷館がある。そこまで直線でほぼ2km程である。反対に真西に2kmほどのところには青山城があり、小倉城が菅谷館・青山城と連携して松山城の支城網の一角を形成したと見て間違いない。

 小倉城は、関東では珍しい石垣が多用された城として知られている。その石垣は、大きな石を四角に整形して積み上げたようなものではなく、薄い板状に加工した石を何十枚も積み重ねたものであり、長野の山城でよく見られるものと同じ積み方である。一部はかなり崩落しているため土嚢で補修されているが、遺構を見ると場所によっては4~5mもの高さがあったようで、山家城などと較べても遜色ない規模の石垣であり、かなり高度な石積み技術がこの地域に伝わっていたことを物語っている。もしかしたら武田家滅亡後、石積み技術集団を北条氏が吸収したのかもしれない。石垣はほとんど主郭東側の曲輪に集中して使われているが、西側斜面は傾斜が急で防御の必要がなかったからなのであろう。またそれ以外でも竪堀と連携した虎口や枡形虎口、岩盤をぶち抜いた堀切など、多彩な築城技術が駆使されており、見ていて飽きることがない。名城の多い北武蔵でも極めて優れた山城である。

 それにしてもこの小倉城といい、杉山城といい、北武蔵の城はその優れた縄張の反面、歴史が定かでないものが多い。それは小田原北条氏が滅びたため、その歴史が伝えられなかったことによるのであろう。
主郭北の枡形虎口→DSC01898.JPG
DSC02041.JPG←岩盤をぶち抜いた堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=36.032771&lon=139.296909&z=16&did=std&crs=1
nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 3

コメント 2

ノリパ

瓦のような石で造られていたんですね。これはすごい。見どころ満載の
お城ですね。でも、知らない人が歩いても見つけられないですね。
アテンザ23Zさんだから、見つけられるんでしょうね。感服いたします。
by ノリパ (2009-04-27 21:10) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
事前のリサーチの賜物です。
それはつまるところ、城歩きのすばらしい先達の方々の訪城記(HP)の
豊富で緻密な情報量によるところが多いです。
そうした方々のすばらしいHPにはいつも助けられて感謝しています。
by アテンザ23Z (2009-04-28 23:58) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

メッセージを送る