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水戸城(茨城県水戸市) [古城めぐり(茨城)]

DSC09648.JPG←三ノ丸の堀
 水戸城は、言わずと知れた徳川御三家の一つ、水戸徳川藩の居城、すなわち時代劇で有名な水戸黄門の居城である。もともとは大掾氏の城であった。大掾氏は天慶の乱の際に従兄弟の平将門を討って大功を挙げた平貞盛の後裔で、代々常陸大掾職を世襲したため、役職名を家門の名とした。ちょうど九州の少弐氏と同じである。室町時代になると、関東戦国の幕を切って落とした上杉禅秀の乱が起こり、その論功行賞で江戸氏が水戸方面に進出、そして1426年、大掾満幹が府中に赴いて留守の間に、河和田城主江戸通房は大掾氏の居城である水戸城を奪取した。その後江戸氏は水戸城を居城として北の佐竹氏と盟約を結び、常陸南部で大きな勢力を持ったが、豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼすと、その威を背景に佐竹氏は常陸一国の経略を進め、水戸城を攻め落とした。その後、佐竹義宣は水戸城に本拠を移し、城を整備拡張した。しかし佐竹義宣は関ヶ原の戦いの際に去就をはっきりさせなかったために、戦後に遠い秋田に転封となった。その後、徳川家康は自分の息子達を相次いで水戸に封じ、最後は第十一子の頼房が入って水戸徳川家の祖となり、幕末まで続いた。

 水戸城は、平地に突き出した台地の先端部に築かれた城である。東の先端から順に、下の丸、本丸、二ノ丸、三ノ丸を連ねた連郭式の縄張りで、各曲輪間は大きな堀で分断している。往時はその周囲の平地に水堀をめぐらし、南の千波湖に臨む平地に侍屋敷を連ねていた。現在ではかなりの部分が市街化によって姿を変えており、下の丸と本丸は水戸第一高が、二ノ丸には水戸第三高や第二中学校などが、三ノ丸には県庁や県立図書館が建てられている。それでも曲輪間を分断する堀や枡形土塁などが部分的にではあるが良く残っており、特に三ノ丸西側の巨大な堀や、二ノ丸の大手門跡の枡形などは見ごたえがある。往時は城のすぐ南にまで千波湖が広がっていたが、現在はかなりの部分が埋め立てられてしまっている。

 なお水戸城は大大名の近世平城でもあるが、珍しいことに石垣は一切ない。1月17日には、二ノ丸北の堀跡の発掘調査現地説明会があり、堀の斜面に土を盛って衝き固めた跡が公開された。堀の斜面にわざわざ土を盛って衝き固めるのは珍しいことだそうである。
大手門枡形土塁→DSC09628.JPG


 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.372265,140.483133&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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コメント 2

ノリパ

なつかしいです。それがし入社して、最初の配属が水戸支店だったんで。
3年半いましたので、水戸城あたりもウロウロしました。
嫁さんの実家が茨城なので、そのうちまた見に行ける、と思いつつ
結構時間が経ってしまいました。今年は、実家に帰らないと。
by ノリパ (2009-02-28 18:57) 

アテンザ23Z

>ノリパさん

そうでしたか、水戸に住まれていたことがあったんですね。
水戸から九州とは、なかなか大変ですね。
城はいろいろ見れていいかもしれませんが。
by アテンザ23Z (2009-02-28 19:35) 

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