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小浜城(福島県二本松市) [古城めぐり(福島)]

DSC05229.JPG←主郭石垣
 小浜城は、南奥の戦国大名大内氏の居城である。陸奥大内氏は元々西国の大勢力大内氏の一族とされ、主家石橋氏が奥州探題に任ぜられて塩松に入封してきた際に、石橋氏の本城塩松(四本松)城の支城として築かれ、家臣団の四天王の一つ大内氏の居城となった。後に下克上で主家石橋氏を滅ぼし、同じ家臣団の筆頭大河内氏をも謀略で滅ぼすと、塩松荘を掌中に収めた。その後は三春の戦国大名田村氏の傘下となったが、独立領主的な色合いが強く、特に一代の梟雄大内定綱の代になると田村氏に対する反抗を開始し、度々田村勢を破って完全に戦国大名化した。のち、伊達氏の勢力が伸びてくると、一旦は伊達氏につくような素振りを見せたがやがて反抗したため、若き当主伊達政宗は田村清顕と連合して大内攻めを開始、攻撃目標の小手森城をなで斬りにした。これに恐怖を覚えた定綱は葦名氏を頼って逃亡した。大内氏を追った政宗は小浜城に入り、父輝宗を宮森城に入れた。こんなときに二本松畠山氏による伊達輝宗拉致事件は起こるのである。のちに大内定綱は家中分裂して動揺する葦名氏を見限って伊達氏に臣従し、摺上原の合戦でも活躍して伊達の重臣に列した。こうして見事に戦国を生き残り、伊達藩士として幕末まで続いたのである。
 一方、小浜城は豊臣秀吉の奥州仕置きで伊達領から会津の蒲生領となり、支城として整備された。現在に残る主郭石垣はこのとき整備されたものだという。しかし最終的には1627年に廃城となった。
 城跡は現在公園として整備されているが、公園化しているのは主郭部のみで、他はほとんどが畑になっている。二本の川に挟まれた丘陵上に築かれた城で、耕地化されているものの全体に遺構は良く残っている。主郭の周囲の空堀は規模が大きく、周囲の曲輪も畑となっているものの形状が良く残っている。主郭南西の谷間には段々の畑が残っているが、これらはみな家臣団の屋敷跡といわれ、切岸や一部には堀切跡らしい地形も残る。訪れたのが夏場で薮がひどく確認できない部分もあったが、良好な城址遺構である。
主郭西側の堀切→DSC05216.JPG
DSC05211.JPG←主郭北側の第3郭

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=37.564034&lon=140.511036&z=16&did=std&crs=1
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