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真岡城(栃木県真岡市) [古城めぐり(栃木)]

DSC04372.JPG←本丸北西の空堀跡
 真岡城は芳賀城ともいい、宇都宮氏麾下の勇猛な軍事集団紀清両党の一翼を担った芳賀氏(本姓清原氏、故に清党という)の居城である。芳賀氏の家系は古く、天武天皇の皇子、一品舎人親王を祖とするが、後に子孫が罪を受けて下野に配流、その後、高澄のときに初めて芳賀氏を名乗り、前九年の役で源頼義に従軍して戦功を挙げて祖先の罪を許された。芳賀氏は長いこと平城の御前城を本拠としていたが、1577年に23代高継が小田原北条氏の圧迫を受けて、新たにより堅固な平山城の真岡城を築いて本拠としたという。従って城としての歴史は新しく、宇都宮市東方の飛山城の方が芳賀氏の城としては遥かに歴史も古く、歴戦の城としても有名である。
 城跡は真岡市の中心地、行屋川沿いにあり、真岡小学校の敷地や公園になってしまっているので、当時の姿はかなり消えてしまっている。しかし全く湮滅しているわけではなく、本丸外周には土塁が残り、特に本丸の東と西北側に残る土塁や空堀、櫓台跡などは、周囲は宅地化しているものの城郭の雰囲気満点で、市街化した城としては予想以上に遺構の残りが良い。全体に城の東側は公園化ですでに城跡という雰囲気は消えうせているが、西側は横矢の折れも残り、平野部との段差の切岸も往時そのままな斜度で残っており、申し分のないものである。
 予想以上に良い城跡だった。
本丸東側の櫓台→DSC04354.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.444485,140.007609&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0

【2009年1月追記】
 国土変遷アーカイブで戦後間もなくの航空写真で確認したところ、一番北の曲輪は小学校を建てた際に北東部分を若干拡張したようである。
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