児山城(栃木県下野市) [古城めぐり(栃木)]
(2006年2月訪城)
児山城は、宇都宮氏の一族児山氏の城である。宇都宮頼綱の四男多功宗朝の二男朝定が児山氏を称してこの城を築いたのが、建武の新政期であると伝えられる。近くの多功城、上三川城とともに、小山氏に対して宇都宮領の南方を押さえる拠点として重視されたようである。後、天文年間に宇都宮家中の抗争で、権臣の座から滑り落ちた芳賀高経がこの城に追い詰められて自害して果てた。
城跡は個人所有地のようであるが、県指定史跡として整備保存されているので、大抵の地図にも載っており、遺構の残存状況も比較的良い。もともと方形居館から発展したらしく、主郭は方形の土塁とそれを取り巻く堀跡が非常に良く残っている。堀の広さは10mほどもあるので、現在は浅くなっているが、往時はかなりの深さを持った大きな堀であったと想像される。主郭南には、土橋を伴った虎口もあり、主郭の土塁の隅には、櫓台らしい盛り上がりが明瞭に残っている。主郭の周囲にも特に南側と東側に土塁らしき地形などが残るが、あまりはっきりしないので主郭以外の曲輪の縄張りがどのようであったかは今ではわからない。ただ、このあたりには、中城・西城などの地名が残っているようで、想像以上に城域が広かったようだ。日光街道(国道4号線)という主要街道近くに構えた、宇都宮氏の重要拠点であったことがうかがえる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.51.20.5N36.26.40.6&ZM=9
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