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小俣城(栃木県足利市) [古城めぐり(栃木)]

DSC00684.JPG←途中の尾根道から見た主郭。
                                      削平されているのがよくわかる。
 小俣城は、源姓足利氏の庶流、小俣氏の築いた城である。小俣氏は、足利泰氏の子賢宝を祖とし、代々鶏足寺の別当職を相伝したと言う。南北朝期の小俣氏については、太平記にその事績が語られている。摂津湊川の合戦の際、西国より攻め上る足利方の軍勢の中に多くの足利一門と並んでその名が見える。また観応の擾乱では、小俣少輔次郎義弘は足利直義党として戦ったが、薩埵山の合戦で直義党が敗北するとやむなく尊氏に降伏し、それに続く武蔵野合戦では、偽って尊氏の麾下に属して尊氏の命を狙い、それが露見すると南朝方の新田義興・脇屋義治に従って、南宗継らの守る鎌倉を攻撃して、鎌倉を一時的に制圧することに成功した。しかし間もなく、態勢を立て直した尊氏軍に鎌倉は奪還された。後に小俣氏が没落すると、同じく足利氏の庶流である渋川氏が入封して、小俣渋川氏となってこの城を本拠とした。南の小田原北条氏と北の上杉氏による関東を二分した勢力争いでは、小俣渋川氏は由良氏と共に北条方に付き、そのため1572年には上杉方の膳城主膳宗次らの攻撃を受けた。しかし善戦して守り切ったという。城は、鶏足寺北方にそびえる城山に築かれている。

 城の登り口であるが、これが非常にわかりにくい。県道218号線が小俣川を跨ぐ、宝珠坊橋のすぐ手前に、ひっそりと隠れるように立っている馬頭観音が入口である。これが全くわからず、地元の人に聞いて教えてもらった次第である。聞くところでは、城まで登る途中に集合アンテナがあるので、以前は下草の手入れをしに上っていたが、最近はそれもしなくなったとのこと。高齢化が進んでいるためであろう。そんなわけで最近は登る人もいないので、道があるかどうかもわからないといわれたが、思いのほか道がわかりやすく迷わずに登ることができた。それには城めぐりの先達が残して行ってくれた赤いリボンの標識も大いに役立った。

 この城の築かれた山は、頂上の手前にそれぞれ100mほど離れて2つほど支峰があり、尾根を伝ってそれらを経由して登っていくこととなる。支峰には、それぞれ物見台と思われる曲輪があったようで、削平がある程度されて曲輪らしい形状をしている。尾根道は薮が少なくて非常に歩きやすく、尾根道に取り付いてからの登城時間は思ったほど掛からない。2つ目の支峰の曲輪を過ぎると一旦やや下りの道となり、そこからまた主郭に向けて登り道となる。途中、大小2つの堀切がある。2つ目の大きい堀切を越えると、いよいよ主郭エリアである。頂上の主郭の回りに、環状に第2郭が巡り、その手前に1~2段の段曲輪がある構成である。主郭は削平がされているだけで土塁は無く、面積も小さい。主郭虎口にはわずかだが石積みが残っている。第2郭に石がゴロゴロしていることを見ると、もしかしたら主郭は石積みで防御されていたのかも知れない。主郭の北と南西にも数段の段曲輪があるが、いずれも大した大きさではない。

 遺構は非常に良く残っているが、全体に規模が小さく、どうも詰の城としての機能だけであったようだ。

大きい方の堀切→DSC00702.JPG
DSC00724.JPG←主郭。これがほぼ主郭の面積全て。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=36.396563&lon=139.375747&z=16&did=std&crs=1
タグ:中世山城
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