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塩田城(長野県上田市) [古城めぐり(長野)]

DSC05998.JPG←虎の口の石垣
(2007年5月訪城)
 塩田城は、鎌倉時代後半に塩田に下った北条義政が築いた城といわれている。以来、塩田北条氏3代の居城となり、「信州の鎌倉」と言われる通り、塩田の庄はいくつもの寺が創建された一大文化拠点であった。今でも国宝、重文級の堂宇が残り、多くの観光客で賑わっている。足利氏、新田氏の挙兵によって北条氏が滅びた後は北信の雄、村上氏がこの地を領し、更に時代が下ると甲斐武田氏が村上氏を追ってこの地を支配し、東信濃の統治拠点とした。武田信玄が在城したこともある。
 私がこの城を訪れたのは、もともとは安楽寺の国宝三重塔や前山寺の重文三重塔などを見に来たついでであった。城があることは知っていたが、どういう城なのかはあまり知らずに訪れたのである。塩田城は独鈷山支峰の稜線の谷間に展開された山城で、麓の広い削平地の政庁・居館部分から、上部の主郭跡まで多くの段曲輪で構成されている。麓に塩田城の石碑が立っており、その近辺が横堀跡だそうだが、かなり埋もれているのか、どう見ても道にしか見えない程度のものである。そこから登っていく途中にはかなりの広さの削平地が何段かあり、よく見ると草むらの中に石垣が埋もれていた。更に大手道を登っていくと、段曲輪の大手道沿い側に整形された石がごろごろとあちこちに転がっており、どうも大手道沿いに石垣で厳重に区画されていたようだ。更に登ると、「虎の口」と呼ばれる石垣で構成された虎口のある曲輪が現れる。この曲輪の奥には井戸跡も残り、写真を撮って後で見たら、井戸内部は石積みで組まれていた。また更に登ると、途中に石垣の石を切り出したと思われる岩場があり、切り出しかけて放棄された石が、ごろごろと転がっていた。その上が主郭である。主郭はあまり広くはなく、奥に北条国時の墓が残っている。
主郭の北条国時墓→DSC06017.JPG
 城の左右の稜線の上には城を防御するための砦跡があったようだが、時間の都合もあり登るのは断念した。砦の下にも何段も腰曲輪が設けられていたように見受けられた。
 信州の城はどこもそうだが、この城も岩石が豊富で、往時は全山石垣で武装されていたようである。現代まで残っていれば、さぞ壮観だったろうと思われる。但し、横堀や竪堀、土塁などはほとんど無く、基本的に石垣が防御の中心であったようだ。
DSC05995.JPG←井戸跡の内部の石積み

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=36.336509&lon=138.195598&z=16&did=std&crs=1
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