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会津若松城(福島県会津若松市) [古城めぐり(福島)]


 お盆連休中は、例によってほとんどずっと仕事で、お盆明けに休みを取って、夏の東北近代城郭巡りと称して、3日間の城巡りに出掛けた。お盆中の連日の好天と異なり、あいにく雨模様の多い天気になってしまった。初日は夜中のうちに会津西街道を北上して、最初に会津若松城を訪れた。
 現在は、幕末の京都守護職松平容保の居城として知られているが、中世・戦国期は黒川城と呼ばれ、東北の雄、葦名氏の居城であった。葦名氏が伊達政宗に滅ぼされ、その伊達氏が居城を米沢城から黒川城に移したのもつかの間、小田原北条氏を滅ぼした豊臣秀吉の奥州仕置によって、蒲生氏郷が入封し、その際に大々的に近代城郭に仕立て直されたそうだが、全体の縄張りはほぼ中世黒川城のものを踏襲しているようである。会津盆地に作られた平城で、中世にも関わらず防御性の弱い平地に居城を構え、大きな堀と土塁を巡らした縄張りは、戦国大名葦名氏の先進性を感じさせる。しかし良く考えてみると葦名氏だけでなく、伊達氏の米沢城、最上氏の山形城と、この近辺の戦国大名はみな平地の真ん中に城を設けている。奥州の大名は要害性よりも統治拠点としての機能性を重視していたのであろうか?それとも山に城を築くと、冬の雪で身動きが取れなくなることを嫌ったのであろうか。
 さて現在に残る会津若松城は、戊辰戦争で砲弾にさらされ、明治に入ってから完全に取り壊されてしまったので、昭和に入ってからの復元城郭である。(東北の城はみんなそう。だから私は明治維新は嫌いだ!)しかし二の丸や出丸の全周を取り巻く石垣や土塁、水濠はほぼ完全に近い形で残っており、会津若松市民のこの城に対する愛着を象徴しているようである。
 またこの城を訪れるのはもう4~5回目になるが、本格的な城郭巡りとして訪れたのは今回が初めてで、そのため今まで気にもしていなかったことが今回の訪城でよくわかった。全周が石垣といっても、結構、腰巻土塁も多く、二の丸には仕切り土塁も構築されている。また街中には蒲生統治時代に築かれた総構の遺構の一部として、天寧寺町土塁や甲賀町口門跡の石垣なども残っていて、国指定史跡となっている。また裏の方まで回ると、民家の裏に三の丸の濠と石垣も残っているのが見られた。
 全体に遺構が非常に良く残るいい城であると改めて感じた。

二の丸との間の木橋
戦時には落とせるようになっている。
二の丸の外堀
天寧寺町土塁
甲賀町口門跡の石垣

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.55.59.4N37.29.3.0&ZM=8
    http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.56.38.0N37.29.16.3&ZM=11(天寧寺町土塁)
    http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.56.6.1N37.29.35.1&ZM=11(甲賀町口門跡)


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